怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(124) 自分の問題と向き合うための10の闘い(14) 死にたい感覚④
2017/04/21
今回は伸びしろとモチベーションの話をします。
死にたい私が生き続けてきて、今どのあたりにいるのか?少し考えてみました。
①死にたい
②いじめたやつに嫌がらせをするために生きる
③自分が存在していい感覚を手に入れる
④自分を好きになる
⑤他人を信用する
⑥他人を好きになる
順番にみていきましょう。
①は普通いじめがきっかけで死にたいという心境になることはあると思うのですが、私の場合、死にたい感覚が先にあって、後からいじめにあっているので、いじめはむしろ②の動機付けになっているのです。いじめられて生きようとするなんて、かなりひねくれているなあ、と自分でも思いますが、事実ですから仕方ありません。
さて、いじめっ子をある意味見返すために生きるということは、いじめっ子に復讐するという条件付きで生きていていいと自分に許可をだしているわけです。逆にいうと条件を満たさなければ生きていてはいけないことになります。
しかし、学校を卒業し、物理的に距離が空いてしまうと、いじめっ子に復讐するにしても、どうやって復讐していいのか?
あるいは仮に復讐が可能だとしても、どの時点で復讐を成就したと認められるのか?その確かな基準がどこにもないわけです。
そうすると復讐に労力を使うことは、時間の無駄ではないか?と考えるようになりました。そこで復讐しなくても自分が存在していい感覚を手に入れる方向に向かったのですが、これがなかなか難儀な道のりだったわけです。カウンセリングをうけ続けること四年四ヶ月を経て、やっと自分にかけていた条件を緩めることができたのです。
しかし、自分を好きになっているかどうかといわれればまだ微妙な感じがしたんですね。当然、その先にある「他人を好きになる」という感覚もまだまだ遠い感じしています。他人を信用するという点でも、意識下ではなるべくやっているのですが、気が付いたら人任せにせず、全部自分で抱え込んでしまう癖が抜けきっていないので、このあたりはまだ未完の仕事かなという判定をしてみました。
こうして考えてくると、おそらく現時点で私が到達しているのは、③と④の間だと思います。④の自分を好きになるということはどんな自分も無条件で肯定できるかどうかというところでもあるので、自分的には大変いい感じがしているのですが、とはいえまだ私は届いていないかなというところなんですね。
でも届いていないということは52歳にもなってまだ上積みできる伸びしろがあるということでもあります。そう考えると大変わくわくしていくるんですね。たぶん今生きていることの、最大のモチベーションはこの「のびしろ」にあると私は思っています。