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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(116) 自分の問題と向き合うための10の闘い(6) シェアに対する不快感⑥

今回はネガティヴな遺産とポジティブな遺産の話をします。

ネガティヴな負の遺産でいうなら、私はかなりの「資産家」だという自負があります。二年間の寝たきり生活にはじまり、自分でもかぞえきれないくらい不幸自慢できるネタを持ってます。こうなると得てして負債というものは、シェアするものではないという考え方になりがちです。私もつい最近まではそうでしたからね。

ところが、今の世の中は個々人が抱える負の遺産があまりに多いせいか、人の分までネガティヴな要素を受け入れる余裕がないように、私には見受けられます。しかし、個々に余裕がない時代だからこそ、1人1人の負担を減らす必要があるのです。

さて、大人と子どもでは体格差もありますし、力の差も歴然としています。子どもがいやがっているのに、大人が力任せに子どもをねじ伏せて、悪ふざけをすることは、後々子どものトラウマにもつながるとも言われています。

事実、私にも両親にからかい半分でいたずらされた不愉快な記憶があり、それが元で嫌な気分を未だに引きずっています。例え実の親であろうと、体格差にものをいわせることはパワハラですから、本気で嫌ならそれこそ出刃庖丁でも持ち出して抵抗するか、でなければ裁判で親を訴えてもいいでしょう。

他方、そうした力任せの冗談を私が他人に対してしていないか?これは注意すべき点です。他人がやれば冗談ですむことが、私がやるとそうはならないこともありうるわけです。やられたから、ひとが嫌がることを理解しているはずの人間が、こんどは加害者になるという負の連鎖ですね。

とはいえ、法的に問題がある場合は別として、人間はある程度間違わないと、学ぶこともできません。確かに行き過ぎた冗談は、冗談にはなりません。そのバランスをとるためには時に自分が嫌われるリスクを追うこともいとわない覚悟が必要でしょう。そして時には親しい人間関係にヒビを入れる可能性だってあるわけです。それを覚悟した上で、やれるのかどうか?

今までの親しい人間関係にヒビを入れることはとてもつらいし、寂しいことです。しかしそれをしてなお、自分のやりたいことを貫くのか?それとも人間関係を重視し、まわりに合わせて自分を殺していくのか?

社会で生きていく上では両方のバランス取りが常に求められます。それはさながら綱渡りのようなものです。ある意味緊張を強いながら人は生きているわけです。

しかし、ポジティブな遺産やスキルだけでなく、当然ネガティヴな遺産もまたシェアできるものなのです。なぜなら、負の遺産はひとりで抱え込むと、自分の心身を滅ぼしかねません。そうなる前に、できるだけ多くの人間で負担すれば、一人当たりのダメージは少なくて済みます。私の考える理想のシェアとは負の遺産も分け与えるものでもあります。

どちらかといえばネガティヴな遺産は、ポジティブな遺産よりたまりやすく、残りやすいのではないか?と私は考えています。だとしたら、たまりやすくて残りやすい負の遺産は、なるべく多くの人間でシェアしあって一人当たりの負担を軽くしたいものです。繰り返しになりますが、私は負の遺産だってシェアできると考えています。ネガティヴシンキングを軽くするためには、一つの有効な手段かもしれませんからね。










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