怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(113) 自分の問題と向き合うための10の闘い(3) シェアに対する不快感③
今回はシェアとお金の話です。
技術には対価が発生します。この概念が日本ではなかなか広まっていないため、どれだけ努力して身に付けた能力であってもただ同然で買いたたかれることがよくあります。もしシェアが「苦労して身に付けた能力を分け合うんだから、ただでいいよね」という意味になるのだとしたら、私はそういうシェアを否定したいですね。
現実にシェアを推進する人たちが、自分の身を削って他人と自らの全てをわかちあっているかというとそれは違います。それぞれの人間にも生活というものがあって、それが成り立った上で、生活に支障のない範囲で、できることを分け合うというのが本当のシェアだと私は思います。苦労して身に付けたものをただ同然ではぎ取っていくのは追いはぎに等しい行為でしょう。
ところが日本では本来「親しいからこそ、対価を払う」という概念があってしかるべきところを、「親しいからただでいいよね」というおかし概念の方が堂々とまかりとおっています。
知的財産だとわかりにくいので、物的なものを例にあげましょう。ネットでよく例に上がっているのが、手先が器用なあなたが小物入れを自作して、それを見たあなたのお友達から「私も作って」といわれたようなケースです。当然新たに作るには、手間や材料費もかかるのですが、ここでなぜかもめごとに発展するのですね。
こういう場合「友だちだからただでいいだろう」というお友達のひとことが概ね引き金になっている事例を多く見かけます。自分の分を自分で作る分はお金も暇もかけるでしょう。でも友人は自分ではなく、あくまで赤の他人であるはずです。にも拘わらずなぜお友達は、あなたにただ働きを強要するのでしょうか?
ではお友達がなぜこのような考え方にいたるのか?いくつか考えてみましょう。
①あなたの技術を低くみている。
②小物入れ作りはあなたの本業でないから、タダでいいと思っている。
③友人として付き合う以上、友情の範疇であり、お金のやりとりなど発生しない
いずれにしても、あなたにしてみたら納得はいなかいでしょう。ここまでされてなお、あなたにそのお友達と友人関係でいたい利益があるのなら別ですが、そうでないなら縁は切ってもよいのではないか?と私は思います。
あなたのお友達があなたにいっているのは、「あなたの小物入れ、私は気に入った。私がもらってあげるからもう一つ作りなさい」と同じことです。こう言われれてもなお、あなたはお友達に手間暇かけて小物入れを作る気になれるでしょうか?
くどいようですが、小物入れを作ることはあなたがあなたのためにやっていることです。決して友情のためにしていることではありません。親しき仲にも礼儀ありというならば、お友達はせめて材料費+手間賃くらいは払うべきですし、その義務もあるでしょう。
カウンセリングという知的財産を仕事にしていると、割と日常茶飯事に巻き込まれるのがお金の問題です。私は仕事に差し障らない範囲ならば、カウンセリングでも、シェアもやぶさかではないと考えています。しかし、生活に支障をきたしてまで他人に自分の時間を割くことはしたくありません。
もし、あなたが私に何らかの形で依頼を断られていたとしたら、それはひょっとしたら、あなたが無意識の内に、私の価値を低く見積もっていたからかもしれないですよ。