怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(87) 私が恋愛をキライな10の理由(7)
2017/01/25
今回は恋愛以前に人を信用できているのかどうか?というお話をしたいと思います。私の場合、結論から先にいうと、「昔よりは信用できている」ということになります。
では昔はどうだったか?というと、まわりの人間は全て敵という感覚しかありませんでした。その上、自分のことも好きではありませんでしたから、自分含めた全てが敵だと感じていました。要するに自分を含めてこの世の誰もが信用できない状態で生きてきたわけです。
じゃあ、なんでそんなことをしてまで生きてきたのか?むしろ死んだら楽になれるのではないか?そういうことも考えていました。まあ、未だに生きているということは死ぬ選択肢は選ばなかったわけですが、生き残ったということで、逆に生きづらさも抱えたまま、過ごす羽目になったのです。言い方を変えると「生き地獄」というやつです。
あなたは「そんなの、自分を好きになれないんだから、当然の報いだ」と思われるかもしれません。実際、10代の時に「友情を否定しているお前は思い上がり野郎だ」と様々な見も知らぬ方々から散々叩かれた経験がありますからね。この一件でじゃあ友情を信じられたかというと、全くそういうことはなくて、むしろ人間を余計警戒するようになっていきました。
ここからが肝心なのですが、関わる人というのは、時と場合、場所や状況により当然変わってきます。ですから関わる人が変わると自分の反応もかわります。しかし、似たような状況、似たような特徴のある人に対して、自分がある程度パターン化している反応を示していることに気づくと、対処がだいぶん楽になってきます。でも他人への反応を変える前に、そもそも生きづらさを生きやすさにかえるためには、自分をどうにかして好きになる必要がありました。これが実をいうと一番厄介でした。他人は視点を変えると、一面では嫌な奴でも別な視点からみたら、いい面もみつけられるわけです。
しかし自分が自分を俯瞰で見つめるというのは、正直目が外にでもない限りは、困難なのです。そこで私にはカウンセリングが必要になったのです。カウンセラーの先生が第三者の視点になって自分を見てもらえたことでたくさんの気づきを得られましたし、そこから自分を客観視できる力も身につけることができました。
その積み重ねによって今の私は昔より人を信じられるようになれたのです。