怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(86) 私が恋愛をキライな10の理由(6)
2017/01/25
若いころは確かに道行く男女の仲睦まじき姿に、怒りの感情を持っていたはずなんですが、じゃあ、今、自分がああなりたいのかというと全く違っていたんですね。でも皆と同じにならなくてはならない、親から決められた役目を果たさなければならないという固定観念は私を縛りまくっていました。その感覚は今でも残っていると思います。
昭和末期に営業職をはじめたのも、自分と違う自分になりたかったからという理由からでした。人と仲良くなれない自分は、人として生きていけないという思い込みがありましたから、自分を変えるには自分が望まないことをしたら、変わることができるのかもしれないと本気で考えていました。そして彼女の一人でも作ることができたなら、現状のどうしようもない自分を変えることができるのではないか?そんなことも考えていました。
実は今考えると数多くの女性に告白していたのも、「早く楽になりたかったから」だったのではないかなと考えています。私は形だけでも付き合ってくれる人がいたら、親からはうるさく言われなくて済むわけです。しかしこれだと、私にしか利益は発生しませんし、大切な人様の時間を私のために犠牲にさせるというのも、理屈の通らない話です。我ながら結構自分勝手だったなあと今になってみたら思いますね。幸いそうした自分勝手さは見透かされていたみたいで、告白しても誰も自分と付き合ってはくれませんでした。そのことに関していうと結構腹も立っていたんですけど、相手にとってプラスになることを提示できない以上、こっちのお願いばかりが通るはずもないですよね。
道ゆくカップルが肩を寄せ合って通り過ぎる姿に、いいようのないイラつきを感じていたのはどうしてだったのかということを考えていくと、「親から責められなくていいなあ」という気持ちもあったのかもしれません。事実は彼ら、彼女らにもそれぞれのストーリーがあって、親から違う理由で責められていたのかもしれません。それはこちらが知る由もありません。何より彼らのすべてが私より優れているという私自身の思い込みも多少あったのかもしれません。
まあでも本当は恋愛でも何でもできる人はしたらいいし、しなくても困らない人間はしなくてもいいと思うのです。無理してどうにかしようとするから、軋轢がうまれ苦しくなっていくわけです。個人が幸せでない集団が幸せなわけがないのです。集団のために個人が犠牲になっていいはずがないのです。そういう意味では両親のケンカ腰の会話を見て育って、結婚に1mmの夢も抱けなかった、幼き日の私はあながち間違ってはいなかったと思っています。