怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(85) 私が恋愛をキライな10の理由(5)
2017/01/25
私にとって結婚とは「しなければならない」ものでした。なぜなら「長男だから」だし「家を継がなくてはならない」からだし「一家の大黒柱にならなくてはならない」からでした。これを物心ついた時分からずっと言われ続けてきました。しかし、「結婚するとこんないいことがあるんだよ」という事例は誰も示してくれませんでした。
一番身近な事例になるはずの両親は私が見る限り、いつも大声で感情に任せて怒鳴りあっていました。また近所では絶えず夫婦喧嘩をしている家が多々あって、少なくとも誰しもが見ても羨むような仲の良い夫婦というモデルケースにはほぼ出会ったことがありませんでした。
物心ついた子どもが、親の厳命とはいえ、自ら望んで修羅場に身を投じるには大人の罵声や、喧嘩ごしのやりとりは、とてもおそろしいものでした。あんなののしりあいになってまで他人と一緒には到底暮らせないと小さいころの私は決断してしまったのです。
これを覆すにはよほどの美味しい餌でもなければ、普通人間でも食いつきはしません。しかし両親は「~だから、結婚しなくてはいけない」というロジックを振り回すだけで、私が納得する答えは用意してくれませんでした。
昔は恋愛もできない人間というのは本当に人にあらずという扱いを受けることもあったため、ひたすら私はつたない恋愛経験を隠し通し、経験豊富なふりをして今までやり過ごしてきました。ここで救いになったのは石ノ森章太郎先生が書かれた「マンガ家入門」でした。ここではすべてをマンガの栄養にするため、マンガだけでない本を読んで、いっぱい色んな体験をして、どうしても自分で体験できないところは映画をみて学べというようなことが書いてありました。マンガ家というのはいうまでもなく引き出しの多い方が有利ですから、マンガ以外のものを参考にしろという意味で書かれていたと思います。
当時熱心な漫画家志望者だった私は、この石ノ森先生の言葉を真に受けて、足りない恋愛経験をフィクションの映画で補っていこうとしたのです。しかし、やはり実体験に勝るものはないわけで、映画のような恋愛というのは現実世界ではまずありえないわけです。そのことに気づいてからは恋愛映画すらみなくなりました。
しかし面白いもので、心理カウンセラーとしては山ほどある自分の失敗事例はすべて栄養になっているわけで、今年の半ばにフラれた話にしても、今まで数限りなく袖にされた体験も、こうしてブログ記事として書くことができるようになりました。マンガ家にはなれませんでしたが、私の経験は確かに血肉になっていたのです。