怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(81) 私が恋愛をキライな10の理由(1)
2017/01/25
本当にそろそろ怒りの出しどころも尽きてきたかなと思っていたけど、肝心なことを触れないまま年を越すのも嫌なんで、おそらく私が一番目を背けたいであろうテーマであり、このブログを書くにあたり火付け役になった「恋愛」をあえて終盤のテーマにしてみようと思います。今回は恋愛に勝った負けたは存在するのか?という長年の疑問を自分なりに考えてみたいと思います。
よくいう勝ち組、負け組という言い方やリア充、非リア充という表現で、さも一人でいることが、罪悪であるかのような表現はいまだに見かけますよね。生物的本能でいうんだったら、確かにだれともペアリングできない個体は優秀とは言えないかもしれません。ただ、私は個人的にはつかず離れずという関係性がもっとも楽に生きられると思っているので、やはり自分の周囲に自分以外の誰かがいるのはあまり好きではありません。特に両親はそのあたりをなんとも思っていないので、こちらの都合などお構いなしにプライベートゾーンにずかずか入ってきます。これが自分的にはすごく嫌なことで、ついつい近づくなオーラを全開にしてしまうんですが、最近これを外でもやっていることに気が付いてからは、なるべく注意するようにはしています。
とりあえず作業している時はわざと近づくなオーラを消さないようにしてますが、これをのべつまくなしにばら撒いていたのが以前の私でした。そりゃ人間関係がうまくいかないわけです。
さすがに今では四六時中「近づくな」オーラは出していないつもりですが、決して苦手な場でなくても、時折一人になりたくて、あえて沈黙を選ぶ場合はあります。しかしながらついつい「電池切れ」を隠すために、スイッチをオフにしていると、だいたいみつかって「楽しんでますか?」とか「気分悪いんですか?」とか聞かれるわけです。まあ、当たり前ですよね。もともと私が病人だということを知っている方なら余計でも心配させちゃうかもしれません。
でもつい半年前だと「ああ、気を使わせて申し訳ないな」という気持ちになって、自分から集団に合わせに行っていたんですが、今はつかず離れずにいられる自分を肯定できているので、相手に申し訳ないなという気持ちはみじんもありません。むしろ集団の中でも一人の時間が楽しめる自分のことをおおいに肯定できてますね。
で、表題の恋愛の話になるわけですが、恋愛というものをしてしまうと、必ずしも「つかず離れず」がよいというわけではないのです。今のところ私には恋愛をしないことの方に肯定的な意図が多すぎて、恋愛をしてしまうことには逆にメリットをほぼ感じていないので、たぶんここらへんはそう変わらずに過ごしていくんだろうなあと思います。
ただ、私も人間なんで何かの間違いで恋愛状態になったりすることがないとは言い切れません。数は少ないですが、数年に何度かはバグも発生してます。でも心から望んだことではないので100%失敗してます。今まではそれが苦しくて仕方なかったのですが、この状況は自分が望んだことでもありますし、一人でいることのメリット以上の利益が恋愛にない限りは、自分が積極的になることはまずないでしょうね。ほかにやりたいこともたくさんありますし、限られた時間の中で優先順位をつけていくとしたら、恋愛はずっと下位の方に並んでいるのが現状です。
正直いって嫌いかというとそうでもないけど、だからといって好きでもいないというのが私の恋愛に対する気持ちですね。だから勝った負けたという格付け自体が私にはピンときていないのです。