怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(41) くたばれ!まちおこしその①
2016/10/28
今回からのくたばれ!シリーズは「まちおこし」です。実は心理の勉強をしながらずっと色んなまちおこしのグループや勉強会などで人間関係を作ってきたのですが、正直そろそろその洗脳もとけ始めてきたので、私がよりもっと自由になるためにこれを書いています。
心理カウンセラーに唾なすというこれ以上ない暴挙に出た以上、次にターゲットを定めるならまちおこししかありませんでした。ではなぜまちおこしがくたばれ、なのか?それを語る前に私がなぜ町おこしに身を投じたのか?なぜその町おこしから離れようとしているのかをお話ししましょう。
そもそも私には社会復帰にいたるまでに2年間のブランクがありました。そして他の人たちと関わるきっかけになった異業種交流会が町おこしと繋がっていた集まりだったのです。ここからガラッと人生が変わり、気がついたらまちおこしのコミュニティにどっぷり浸かっておりました。確かになにも考えないでひたすらイベントに関わることは、なんかしら必要とされている感が満たされていて、何度となく社会からつまはじきにされてきた私にはすごく充実感があったわけです。
ですが、だんだんその関わりが多くなるにつれて自分の身体への負担が大きくなって来ました。そのうえ基本まちおこしというのはただ働きか、あっても最低賃金なみというのが通例でした。ですから正直病院にも通って、通院費や交通費でも相当負担を強いられている身としては、町おこしに関わるだけで、普通の人より以上に手出しのお金が増えていきました。それ以上に身体への負担が予想外に酷く、さすがにこれでは自己満足だけで続けられるはずもありません。だいたい、労働に対する対価が楽しさであるならば、楽しくなくなれば去ればよいだけの話です。
とかなんとか言いながら、本当のところまちおこしに関わる気になったのも、離れたくなったのもほぼ直感にしたがったにすぎません。そうして気づいたのです。いつまでも町おこしに関わっている場合ではないことに。自己満足では決して腹が膨れないことに。
そもそも私にはまちおこし以上に大好きなプロレスがあります。まちおこしに関わることによってプロレスに関われなくなるのもイヤです。確かに町おこしは数々の財産を私に与えてくれました。だから私がまちおこしに関わってきたことは決して後悔などしていません。
しかし、物事には潮時があります。二つも三つもまちおこしに関わるなど自分の身を滅ぼすだけです。ですから私はまず物理的に遠い街から離れていきました。ですが、それだけでは自分の中に区切りがつきませんでした。なので、心理カウンセラーに対してもいい放った「くたばれ!」という言葉でまちおこしとは一線を引くことにしたのです。
更には理念先行のまちおこしには、自分に合わない部分がたくさんあることにも気づきました。一番イヤなのが個人を犠牲にする過度な仲間意識でした。私にとっての人間関係はベタベタしすぎないクールさが一定に保たれていた方がのぞましいのです。ですから恋愛自由な場所でもそうでない場所でも、私はあえて過干渉を避けてきました。しかし私の関わり方にも問題があり、このまま我を殺して町おこしの理念には寄り添えなくなっていきました。
つまり心理カウンセラー同様、汚い言葉でまちおこしを遠ざけたい衝動が、私の中ではもう抑えきれなくなってしまったのです。