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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(40) 私が博愛主義をキライな10の理由(10)

2016/10/28

博愛主義をやめた私には集団に対する愛情が希薄です。それは家族であっても、コミュニティであっても同じです。ですから集団が立ちいかなくなれば解散すればいいし、また再結成したければすればいい。仲間だから無料で夢のためにずっと働くとかいうよりも、目的が合致した時だけ集まり、ことが終われば散る、それが私の理想とする組織です。集団がどうしたいか、ではなく、個人がどうしたいか?なんです。個人が立ちいかなくなれば、集団にすらなれません。なのに、集団や仲間や理想が先にきてしまうのはおかしな話です。それに個人が縛られるべきではないと私は考えます。個人あっての集団だし、個人あっての仲間だし、個人あっての理想だと思うからです。

だから私にとっては、夢のために金を犠牲にするのもおかしいのと同様に、金のために命や時間を削ることもまた愚かしいことだと考えています。どうせ得るなら楽しみも金も両方得る考え方になぜならないのか?不思議でなりません。無償の対価に楽しみがあるなどというおめでたい理想には反吐が出るし、対価の代わりに自分の自由を犠牲にする自己愛に満ちた自己犠牲も馬鹿げています。

では、利益と夢の両方を得たいという考え方は似非博愛主義の八方美人ではないか?という疑問があるとしたら、あなたならどう考えて答えますか?

私ならこう答えてみようと思います。

そもそも八方美人とは、だれからも悪く思われないように、要領よく人とつきあってゆく人のことです。では、私は利益と夢に悪く思われないために、要領よく付き合っているでしょうか?もしそうなら私は今頃そこそこの社会的地位と引き換えに不自由な生活を、自分自身に強いて生活しているでしょう。なぜなら八方美人とは嫌われない努力を重ねれば重ねるほど嫌われるからです。

ですが、私は地位もなければ、不自由な生活もしてないつもりです。金銭的にも肉体的にも不自由な点は多々ありますが、精神的には極めて自由な生活をしています。その上、元々嫌われるつもりで書いたり発言したりしていることが逆に、一部では支持を集めてさえいます。では、そんな私が利益と夢の両方を同時に手にしようと考えるならば、どうでしょうか?どちらかを犠牲にしなければ手には入らないと、もしあなたがお考えなら、どうでしょうか?

おそらくあなたが私のことを気に入らなければ私はあなたから嫌われるでしょう。しかし私はすでには八方美人をやめると宣言しているので、あなたに嫌われることはむしろ願ったりかなったりなのです。そもそも好かれようとさえ思っていませんからね。

ただし事実としては利益と夢の両方を手にすることはとても難しいことです。それは自分でも理解しています。だがしかし、また一方で利益を優先させて自分の健康を損ねてしまった過去も私には事実としてあるわけです。そうすると、生半可に楽をしようとして、利益を得ようとすると私にとっては、かえって現状が今より苦しくなることすらありえるわけです。さすがに一度でそれは懲りましたので、そうすると残ったそう多くない人生の時間で、難しくても一挙両得を狙って夢と利益を両方求めようと思ってもそれほどおかしなことではありません。私が好きな故・ジャンボ鶴田さんの言葉に「人生はチャレンジだ」というものがあります。チャレンジというと若い人の専売特許みたいなイメージもありますけど、年齢を重ねてもチャレンし続けることはあっていいと思います。ですから私にとっては、利益と夢の一挙両得はチャレンジであって、似非博愛主義でも八方美人でもないと断言します。これが私の答えです。

ですので、言い方は悪いですが、今所属している場所や集団は全て自分のための踏み台にしかすぎません。もちろん必要とされることなら力も借りますし、自分の力も貸すつもりでいます。そもそも永遠に続く集団などこの世に存在しません。どこかに無理がかかれば辞めればいいだけの話ですし、気に入らなければ距離も置けばいいだけのことです。

集団内には当然考え方の違いもあるでしょうし、一時的に利害の一致をみたら結束することもあるでしょう。でもそれ以上踏み込みすぎたら自己犠牲になります。あくまでも仲間意識はほどほどにした方がいいですよね。あなたがもし自分を犠牲にしてまで集団のために何かしようというのであれば、あたながその集団から何と言われようとあなた自身が満足ならそれでいいのではないかと私は思うのです。間違っても集団を変えようとしたり、他人を変えようなどとは思わないことです。他人はあなたの期待通りに動きゃしないんですから。過度な期待をするだけ無駄ってものです。ですので、集団内のもめごとにも基本私は興味がありません。私が自由になるためにそこに関わる必要があるならば、一生懸命関わりますが、その価値がなかったら関わらないだけです。それによって嫌われても好かれても、私にはどっちだっていいのです。

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