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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(212) 最終章「引き算の生き方」⑨

2018/09/10

何をやらないか

長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。

今までは自分は「何ができるか」ばかりを考えてきました。できない自分を肯定せず、「できるようになる」ため、なんでもやってきました。おかげでスキルは山のようにたくさん身についていますが、最近は「何をやらないか」ということに意識がシフトしています。

どういうことか?もう少し詳しく説明しましょう。人間には貧富や年齢、性差など関係なく平等なものがあります。それは時間です。人間には一日24時間しか与えられていません。今までは、その時間を少しでも長引かせるために、寝ないという選択をしてきました。

ですが、年齢を経てくると寝ないで何かをやるというのは非常にリスキーです。実際2017年は各種イベントに携わったおかげで、得難い体験もたくさんしたのですが反面、寝る時間も削って健康面ではどんどん自分を追い込んでいました。

その結果、緑内障が進行してしまうという最悪の結果を招きました。そこで、限られた時間で何をして、何をしないか?その取捨選択をする必要に人生ではじめて迫られたのです。

まず、仕事の優先順位をさげました。自分が生きていくために必要なはずの仕事をしない決断。これが私の人生において足し算から引き算に変わった瞬間でした。

自分の思いこみに過ぎない

この時、仕事をしないと生きていけないというのは自分の思いこみに過ぎないことを思い知るわけです。ぶっちゃけイヤイヤながらはたらいてきて20年。この間に貯まっていたお金は、数年、いや節約次第ではもう少し長く無職で生きられるだけありましたから、これはプロレス以外で無駄遣いしなかった自分に感謝しましたね。

ということで、必要経費に健康関連を最優先にして、その次に自分のしたいことを持ってきました。これも昔なら最優先事項でしたが、娯楽が楽しめるのも心身の健康あってのこと。それを考えると、仕事同様、こちらも無理をするわけにはいきませんでした。

というわけで私は臨時で入る仕事以外は基本「何もしない人」になったのです。正直、フリーランスを名乗っていた時分に、自らの肩書きを決める際、どうしても「これは!」というものが浮かんできませんでした。それはそうですよね。

「働いて稼げている自分は生きていていい」という条件付きで、自分自身の存在を認めていたのですから、浮かんでくるはずもありません。であるならば、今の私にとっては仕事は必ずしも絶対的に優先しなければならないものではなかったということになります。

ある意味独善

そもそも日本人が考える働き方で、介護まで兼務すること自体無理があるわけです。自分でなんとかしようという事自体が間違いなんです。人に迷惑をかけてはいけない、というのはある意味独善ですらあります。

本来、人間はそこにいるだけでいい存在であることを、散々カウンセリングの学校で学んでおきながら、まだわかっていなかった自分の浅はかさも露呈したわけですが、同時に気づけたということは、問題解決の糸口をみつけたことにもなります。

まとめると、

①自分の存在に条件をつけない
②自分に本当に必要な優先順位を決める
③「何ができるか?」より「何をしないか」

特に③は、「引き算の生き方」として、これから私が実践していくことになりそうです。面白いもので、自分が収集したモノは捨てられないのに、生き方に関しては断捨離をはじめているのですから、自分でも笑っちゃいます。

でも、生き方はごちゃごちゃしているよりは、シンプルな方が難しいですけど、面白いな、と今は思っています。手放せない生き方しかできなかった私が、いよいよ手放す段階にきたという点では、この決断は後々に大きな意味を持ってきそうですね。

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