怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(30) くたばれ!心理カウンセラー(10)
2018/05/23
〇〇さんになりたい
このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。
さて、この「くたばれ!」シリーズは「キライ」シリーズよりも私の中で怒りのランクがひとつ上の対象に向かって毒付く、いや毒突くために書くものです。ですにで「嫌い」シリーズよりももっと嫌いな、自分自身の根源的な問題を取り扱います。
さて、子どもの頃に聞かれる定番の質問に「将来なりたいものは?」というものがあると思います。
日本の場合、だいたい返ってくる答えは「〇〇さんになりたい」というもので、この〇〇の中には職業が入ることが多く、実際子どもがなりたい職業ランキングみたいな形で、記事にされていたりします。たとえば、〇〇にパン屋が入れば、パン屋さん。医師が入ればお医者さんになるわけです。
でも、この〇〇に職業を入れる傾向って日本特有のものらしいんですね。かくいう私も幼少期は何の迷いもなく「サラリーマン」と答えていましたからね。ですから、この〇〇に職業を入れることの是非をこの場で問いたいわけではありません。
職業でない何かとは?
実際、私は社会に出て、サラリーマンとして働くことになるわけですが、その20年間が果たしてしあわせだったのかどうか?と聞かれると、とてもそうは思えないんですね。
しかも、本当の私は漫画家になりたくて、20代後半くらいまでは結構足掻いていましたから、なりたい将来像を本音と建て前で使い分けて、自分すら騙して生きてきた感覚がありました。これでは、お世辞にも幸せだと感じらなかったのです。
その上、つい最近まで執拗に肩書きにも職業にも固執してましたから、そもそも〇〇の中に職業以外の何かが入ることなぞ思い浮かびもしませんでした。
では、職業でない何かとはなんだ?と問われれば、これは「いかにして自分が自分らしく人生を生きていけるか?」という事に尽きるんですよ。
〇〇に入る職業というのは、「自分らしい人生を生きていくための手段でしかない」わけです。では「手段でしかないもの=自分自身」だった場合、何が不都合なんでしょうか?
答えは簡単です。例えば私はかつて営業マンをしていました。しかし、勤めていた会社をやめさせられたことで、営業マンではなくなりました。もっと言えば会社をやめさせられた時点で、サラリーマンですらなくなってしまいました。
手段に縛られたくない
ですけど、この時分の私はサラリーマンであることが、自分らしく生きることだと思いこんでいました。正確には自分らしくというより、生きていくためには辛い仕事をしなければならない、という義務感に駆られて動いていたので、自分らしさとは何か?などと考えもしなかったのです。
要するに、自分らしく生きる選択をしないで、職種に縛られた生き方をしていると遠回しに生きづらい人生を自ら歩んでいってしまっているわけです。これが果たして子どもの頃に思い描いた将来の夢が実現した形なんでしょうか?私にはどうしてもそうは思えないのです。
もちろん、あなたが私のように自分すら偽って生きていたわけでもなく、なおかつ「〇〇さん」になれたことで、あなたらしく生きられているなら、それはとても素晴らしいことです。
だから、最初に書いた通り、「〇〇さんになりたい」に職業を入れる、入れないの是非を私は問う気がないわけなんです。
まとめると
① 仕事はあくまで自分らしく生きるための手段に過ぎない
②問題になるのは、自分らしく生きられていない時
③手段(職業、肩書きなど)=自分らしさ、でなおかつ自分が幸せならば問題ではない。
ということになりますね。私が無職でいたい理由は、一言で言えば「手段に縛られた生き方はしたくない」から。私にとってはカウンセラーも、自由を奪う鎖の一つでしかなかったということなのです。