怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(27) くたばれ!心理カウンセラー(7)
2018/05/16
*経験と思い込み
このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。
さて、この「くたばれ!」シリーズは「キライ」シリーズよりも私の中で怒りのランクがひとつ上の対象に向かって毒付く、いや毒突くために書くものです。ですにで「嫌い」シリーズよりももっと嫌いな、自分自身の根源的な問題を取り扱います。
私がいわゆる大学まで出て社会人というものになってからというもの、常にどこにでも「肩書き」というものがついて回っていました。それは主に以下の3つの理由によるものです。
①私が肩書きを必要としていたから
②無職になるのが怖かったから
③世間体ばかり気にしていたから
①は、やはり長年の社会人経験と思い込みによるものでした。そりゃ通算20年も会社勤めしてりゃ、肩書きありきは当たり前だし、名刺交換も当然の儀式でした。
私がプロの心理カウンセラー資格を取りまくっていた時期も、この「肩書きがあって当たり前」という感覚は私の中に巣食っていました。つい数年前までは「フリーランス」という胡散臭い肩書きですら「欲しかった」ですからね。
*元々死にたい人間だった
それは今にして思うに、②の無職になることが怖い、という感情が原因だったのではないかと推察されます。無職という一般的なイメージは、社会的地位もなくなり、食い扶持も稼げないから、最悪生命維持に直結する問題になりかねない負のイメージが強くあるのではないでしょうか?
社会的に抹殺され、誰からも必要とされず、何ものでもないばかりか、生きてすらいけない、というのは普通に考えれば、大変怖いことです。誰だって普通は生きていたいですからね。
しかし、私は元々死にたい人間だったのです。死にたい感覚は強くなりすぎると、生きづらさに繋がりますが、ある程度緩和されれば、生きていても問題ありません。
以前の私には、ベクトルが正反対にある「死にたい」と「生きること」が同居している事こそ問題だと考えていました。しかし、自分と向き合っていくうちに、 死にたい感覚とは別に、肩書き自体と、③の世間体が私にとってだんだん邪魔なものになっていた事に気づきました。
そこで、試しに持っていた名刺を全て捨てて、SNS等に記載していた肩書きを削除してしまったのです。するとかつて気になって仕方なかった肩書きが、どうでもいいものに変わっていたわけです。これには我ながらびっくりしましたね。
*無職を名乗るメリット
肩書きをなくしたついでに、職業もなくした結果「無職」と名乗ることに何のためらいも無くなってしまいました。以前なら恥ずかしくて人前で言えないくらいだった「無職」という言葉を、何の抵抗もなく堂々となのれるようになったのは、私にとっては大きな変革でした。
私が無職を名乗るメリットとしては、
①必要以上に仕事を抱え込まずにすむ
②身体に負担をかけずに済む
という二点があります。①はかつてワーカーホーリックだった私への戒めでもあります。まあ、たまに仕事する分には問題ないですが、毎日になると負担もデカイからです。
②は、2017年後半、イベントの主催として東西奔走した結果、持病の緑内障を悪化させた反省から、仕事はセーブせざるを得ないという事情もあります。いくら楽しい仕事でも、失明の危険性と天秤にかけたら、どちらを選択するかは自明の理でしょう。
というわけで、今の私はフリーランスでもカウンセラーでもありません。これらすらすっ飛ばして「無職」なんです。私の中で肩書きがくたばっている以上、カウンセラーもフリーランスも無用の長物にすぎないのです。