追憶のscreen 土曜夜8時の想い出ぽろぽろ(1)
子どもの時代はそもそも8時には寝るものだという約束事がいつの間にか決められていた。
まあ健康上のことを考えたら夜更かしがよくないことはわかっていたのだが、やはり昭和の時代というのは誘惑も多かった。だがNHKとごく一部の民放番組しか見ない両親にとっては、どうでもよいことだったんだろう。
余談だが、8時就寝というのは子どものためというより、親の都合によるところが大きかった。彼らはバリバリに働いていた時から現在に至るまで、へたすると19時には床に入ってしまう。そして未だにテレビといえばNHK。ラジオもNHK。本当に面白みのかけらもない親であった。
特に土曜は八時に寝てしまうと8時だョ!全員集合もみられないわけで、これは当時の小学生にしてみたら、死活問題に等しかった。
だが、土曜9時にドラマを見たいという祖母の希望があって、特別に土曜だけは「夜更かし」が許されていた。今考えてもあれは奇跡だったとしかいいようがない。
しかし、一回だけ本当に困ったのは、テレ朝系が全員集合の真裏にアニメ・特撮枠をもちこんできたときで、これにはほとほと参った。のちにこの枠で放送されていたデビルマンや、キカイダーは再放送ですべて網羅したのだが、デビルマンに関しては原作を先に読んでしまったこともあって、いまいちなじめなかった。
原作といっても、当時のコミカライズはテレビや原作とは全く別物であるのが当たり前だったため、テレビ版にないエピソードと混同してしまうこともよくあった。
それゆえ、コミカライズに接してない世代の人からよく突っ込まれたりもするのだが、まあ原作からちょっとでもずれたり、オリジナルの展開を挟んで炎上する昨今に比べると、この点ではおおらかだったのだろう。
原作版デビルマンというのは子どもが見てもかなり刺激的かつ過激な内容だったわけだが、それにすんなり馴染んだのは、デビルマンの原点になった「魔王ダンテ」を先に読んでいたかもしれない。
これを連載していた「ぼくらマガジン」がなぜかかかりつけの病院には必ずおいてあって、人間が実は先住民族の悪魔にとっては侵略者だったという魔王ダンテをむさぼり読んでいた。
だから、実はデビルマンにもそう抵抗もなかったのだ。
今考えるとダンテにしても、デビルマンにしても、よくあんなのを子どもの目が届く雑誌に載せていたよなと思う。テレビ版がより多くの視聴者の目に届くことを意識して、メインライターの辻真先先生が、孤独なヒーロー像にしたのは、今考えるとファインプレーといってもいいだろう。
これは想像でしかないのだが、永井豪先生の師匠・石ノ森章太郎先生は、「テレビはテレビで好きにしたらいい。原作は原作で好きにやるから」というスタンスだったので、弟子の永井先生もそういう風に寛大だったのかなと思ったりもしている。
今だったら反響を恐れて何もできないだろうけど、そこに敢然とお笑いで立ち向かっていったドリフにしても、ハレンチ学園等で問題になりながらひるまなかった永井豪先生ら、偉大な先人たちのおかげで、とても楽しい土曜の夜をすごすことができたのは幸いだった。
そして土曜といえばもうひとつ忘れられない思い出があるのだが、こらは次回に譲るとしよう。