追憶のscreen.アニメブーム前夜の苦い思い出
車のステアリングじゃなくて自転車のハンドルすら握ってそう年数もたっていない頃のお話。
「宇宙戦艦ヤマト」が放送されたのは昭和40年代後半の日曜夜七時半。勿論リアルタイムで見る事は可能だった。
当時人気がなくてうち切られたという印象が強い作品だが、実際は女の子が「ハイジ」、男の子は「ヤマト」という区分けがあってそこそこ人気はあったと思う。全国的な視聴率には結びついていなかったかもしれないけれど。
ところが私が見ていたのはどちらでもない特撮番組の「猿の軍団」だった。
今でこそ「ハイジ」「ヤマト」から比べるとマイナー扱いされているが、これを私は以前にも書いたカラーテレビに茶の間から押し出された、調子の悪い白黒テレビで見ていた。当然カラー放送だったわけだが、この様な事情で総天然色の記憶はない。ただ白黒で見る猿たちは異様に怖く、また妙にもの悲しいエンディングの歌は未だに忘れようがないくらい印象に残っている。
そのせいか今に至るまであれだけブームになった本家「猿の惑星」を私は見ていない。どっかに怖いというイメージができあがってしまったからかもしれない。
後に聞いたテレビ版「猿の惑星」のテーマはかの関根勤さんの声が入ったもので、番組のイメージを払拭させるほど強烈なインパクトがあった。それはそれで見てみたいとは思ったものの、思うだけでなかなかご縁がない。
さて「ハイジ」に関しては今更語るまでもなく、名作との誉れ高く、何度も再放送されたのでヤマト以前に完全に見終わっていた。このあたりくらいから日曜夜の名作劇場は親や学校が勧めるようになっていったと思う。ただ大人が認める価値観を、そのまま押しつけられるのは当の子供側としては不本意だった。
だいたい行儀のいいものというのはその堅苦しさから敬遠しがちである。それは多分当時作られていた宮崎さんや高畑さんもそうだったんじゃないかと思う。
そもそもお行儀のいい名作なんかじゃないことはちょっと見りゃわかる話である。昔から反発を感じていたのはこれさえ見せておけば安心みたいな、大人の偽善が感じられたからかもしれない。
大して見てもいないくせに、内容の一部分だけ切り取って善悪を判断するその判定にも子供心
ながら疑問を感じていた。
ここまで過剰に反応していたのは、世間的に「全員集合」などがやり玉にあげられていたからかもしれないし、両親からして民放見るのを快く思っていなかった節があったからかもしれない。
その上、自分の好きなジャンルに対してはこぞって全否定してきた。従いたくなかったのに、
従わざるを得なかった己の無力さに対しても腹が立っていた。
そうやって考えていくと、今に至るまで宮崎アニメに対して張られている名作のレッテルは、作り手にとっても、受け手にとってもある意味迷惑なものの見方といえるかもしれない、などと思ってしまう。親子で無害なアニメを鑑賞するという枠のはめ方は誰も望んじゃいないのではないかって。