[心理×映画]映画鑑賞記.ヘッドロック GOGOアメリカンプロレス
05年4月10日鑑賞。
かなり長いこと録ったままほったらかしていた。タイムワーナーが作っている完全なWCW宣伝映画。一応はやりに乗ってプロレス=ショーという位置づけで描いているのだが、その描き方がカミングアウトにもなっていないお粗末さでまず唖然。
真実を取り戻しに行くとか、心を取り戻しに行くとかいう台詞が、実に軽い。今更真実もへったくれもあるか!っていいたくなるのだが、まあなんというか実に陳腐でノー天気なのだ。
2000年制作なのにプロレスの描き方が古いというか、詰めが甘いというか、それでいてプロレス万歳みたいな描き方は、かえってプロレスに対する想いの浅さを露呈しているようにしか感じられない。
要するに自社番組の賛歌であって、プロレス賛歌ではないのだ。ワーナーブラザーズ社の映画だから、余計にそう思えてしまう。
そのくせ番組賛美にすらなっていない出来。だいたい筋書き=リング上の陰謀という描き方なのに、えげつなさのかけらもない。それなのに「プロレスはファンのものだ」といういかにもなお題目を、得意げに語られてもなあ、と言う感じ。
そもそもそういうテーマを描くにあたって、一ファンが簡単にボーダーラインを超え、リングをまたぎ、試合に参加するという物語を、映画の進行上「リアル」として描いて見せてるんだもんなあ。本当にあんなセキュリティーの甘いテレビショーが存在するんなら、私だって乱入したいくらいだ!(笑)
本当にそうでなかったにしても、こんな描き方をしている辺りが後のWCW崩壊につながっていったのかなぁとも勘ぐらざるを得ない。
まあ、プロレスを題材にした底の浅いアメリカ青年たちの物語とでも位置づけておけばそんなに腹が立たないかなとも思うけど、それにしてもなあ。
ショーマンシップにおぼれ、地の底まで堕ちた王者が、往年の名レスラーに鍛え直されて、再生していくという流れには、文句はないがここの描き方も浅い。
ショーならショーでそこにかけるものは徹底的に冷徹かつ厳格であるべきなのに、ラストの金網デスマッチだけが本物の闘いみたいな位置づけはどう考えてもおかしいだろう。
往年の王者役の役者さんが、どうみてもパパイヤ鈴木さん似で、本当は格好悪いのに格好いい王者を演じているという設定もどうなんだろ?
どうみてもふつーにバーガーキングにしかみえないのに・・・
おまけにリング上の台詞はロックとストーンコールドを足して2で割ったような言い回しだし(劇中で堂々とピープルズチャンピオンを名乗っている。あてつけだったらある意味凄い)。
暗躍するブッカー役がビンス.ルッソーとエリック.ビショフとを足して2で割ったっぽいキャラだったのは、笑えたけど。
良いところと言えば、往年のWCWの雰囲気がナイトロガールズを含めて存分に味わえること。DDPが悪の帝王として、実に出番が多いと言うこと(DDP軍のボスらしい。関係ないけど、nWOのタオルまで出てきているのに、肝心のnWO、劇中でははなかったことになっている)、冒頭のコンビニデスマッチにマッチョマンがふつーにちょい役で出て来ること(ありえないです!)、そのくせスティングとゴールドバーグは出番少ないのに美味しいところはみんなもってってしまう辺りが、現実と大差ないなぁとか。
これ見た人間に感想を聞いてみたけど、今はもう見られないであろうDDPの試合を、生で見たくなったという答えが返ってきた。それだけはわかる様な気がした。それでも、DDP軍でディスコインフェルノらと三下扱いされているビガロの姿は悲しすぎ...
仮にも日米でトップとった男が...
この中にはブッカーTもいたりしたが、あれだけの逸材をこんないじり方しか出来ないあたりが、WCWの限界だったんだなぁ、と思わざるを得ない...これでは団体が哀れな末路を辿ってしまったのも仕方ないか...。