万国びっくり映画鑑賞記・ブルース・リー死亡の塔
2016/10/18
09年8月15日鑑賞。
截拳道の使い手ビリー(ブルース・リー)は、友人のチン(ウォン・チェンリー)の葬式に参列するため日本に来るが、葬式中にチンの棺を奪おうと現れた暴漢を追って殺されてしまう。悲報を聞いたビリーの弟・ボビー(タン・ロン)は、兄の仇を討つために日本へ来る。そしてチンが死直前に行ったという「死の宮殿」に向かう。すると、そこには死んだはずのチンが待っていた。
これはまさに「奇跡の映画」だった。ブルース.リー映画は完全網羅しているつもりだったし、何回も鑑賞している(でも「帰ってきたドラゴン=ブルース.リャン」の方が鑑賞数は多いと思う^^)けれど、この「死亡の塔」だけは、未見だったのだ。
当時から存在は知っていたし、ファンとしてはどうしても見たかったのに、劇場に行くことも出来ず、テレビ放送も待てど暮らせど縁がない。そしてとうとう公開から29年の月日が流れてしまった。やっとこの間、ラテ欄でこの映画の放送を知ったときは歓喜したものだった。で、その待望の映画なのだが、ブルース.リー扮するのはビリー.ローいう格闘家。ところが回想シーンになると、なぜかビリー.ローが「ブルース.リー」と表記されてしまっている。
ここがまず「?」だったのだが、この回想シーンの15才のブルースを演じた役者さんが老けすぎ!!若く見積もっても20代後半だろう。あれはひどかった。その上、どう聞いてもブルースの声が変。怪鳥音も変なミキシングかけられているし、口パクもあっていない。どうもストーリーの矛盾をなくすために、ほかの誰かがアテレコしたのではないかと、想像するのだが....
そして「死亡遊戯」でもそうだったように、本物と代役の芝居からアクションから違いすぎ。
これはまあ仕方ないにしても、問題がもう一つ。弟のボビーというのがいるらしいのだが、ビリーの生前には全然登場しない。おかげでだいぶん混乱してしまった。このボビーのキャラについては、後述するが、とてもビリーの弟とは思えない^^
で、ビリーがボビーに自分の書いたジークンドー(映画表記のまま)の本(なぜか表紙には少林寺の文字が...)を、手紙と共に弟の部屋に置いていくのだが、そこで机に散乱した大量のエロ本発見。これをブルース(代役)がゴミ箱に捨ててしまうという衝撃のシーンがある。ブルースは決して完璧な禁欲家ではなかったと思うけど、これはちょっと....
で、突然、知己の格闘家(どうも日本在住の中国人らしい)の訃報を受けて、日本に旅立つビリー。訪ねた場所は、なくなった格闘家の娘が働いている銀座のキャバレー?なのだが、夜の銀座を徘徊するブルースという組み合わせが、私の偶像を粉々に打ち砕く。
変なバニーガールはいるし、お客に日本人がいないようだし...
で、葬式に出席するビリー。舞台は当然日本のお寺なのだが、中にはいると、ド派手な中国式の葬式になっていて、参列者の服装もバラバラ。後になってとってつけたように和装の男性が登場するが、いったいここはどこ?って言いたくなるシーンだった。
しかも、火葬ではなくて、土葬。これって国内ではいいのか?まあ、この土葬には意味があるんだけど、これは言わない。でも、だいたい想像通りです^^
そして、棺桶がいきなりヘリで盗まれるのだが、それを追いかけたビリーが吹き矢の毒針であっさり死んでしまう。ここに実際のブルースの葬儀のシーンが挟まれて、なんか不愉快だった。
で、30分ほどで、ブルースの出番はおしまい。この映画の中ではブルースが日本で死んだことになっているようだ^^ここから兄の死を探りに、弟のボビーが来日する。アクションはまあまあ、芝居もまあまあ。だけど、時々やるブルースの物まねが、ものすごーーーーーく鼻につく。そしてさっきも言ったとおり、エロ本を机の上に隠さないほどだから、真っ裸で誘惑してくる敵(しかもプロポーション最悪)と、あっさりのってしまう。
そういえば、ボビーをとめてやっている青い目の師範(日本にこれだけ外国人格闘家の先生がいらっしゃるとは...)が、朝食にシカの血をつけたトーストを食べているシーンがあるのだが、あれって完全に「人種偏見」じゃないか?
さらに驚いたことに、「死亡の塔」はなんと日本の地下に建てられているという...それってタダの地下室じゃ...という突っ込みもさせてもらえずにどんどん話は進んでいく。
ここでのボビーの戦い方にもむかつくのだが、カンフーベースのアクションで、時折ボディーシザースや、ボストンクラブといったプロレス技を挟むのである。なんかプロレスも格闘技もバカにしているようで不愉快きわまりなかった。
後は、まあ話さないでおいておこう。前半だけで、これだけ突っ込みどころがあるというのも凄い。
とにかく、公開当時にブルースに傾倒していた少年時代の私が鑑賞していたら、絶対に泣いていると思う。悔しくて。だから、40過ぎた人になってから見た方がいろんな意味で「幸せ」だったのだ、と思いたい。