*

映画鑑賞記・チルソクの夏

05年3月11日鑑賞

2003年(平成15年)の夏に久しぶりに開かれた関釜陸上競技大会。この大会にスタッフとして参加した郁子は、自分がかつて走り高跳びの選手として参加した1977年(昭和52年)の大会を回想する。
1977年(昭和52年)の夏、郁子は、同じ高校の真理、巴、玲子と共に釜山で開催された親善陸上競技大会に参加し、自分と同じ走り高跳びの選手である安大豪に声をかけられる。「Five centimeter back」という彼のアドバイスに従い、彼女は165cm?の記録を出す。その夜、戒厳令の中にもかかわらず、宿舎に会いに来た彼に郁子は好意を持ち、二人は来年また会おうと約束をする。そして、海峡を越えた文通が始まる。

佐々部監督の「下関もの」中では最も扱いのいい作品(だと思う)。

下関市全面バックアップによるこの映画、実は元の職場の裏がロケ地になっていて、エキストラの人達や、スタッフの人達が買い物に来たこともよく覚えている。 また、佐々部監督が下関の、それも同じ校区内の出身らしいと言う事もあり、出てくる風景がいちいち生々しく感じられる。何せ同じ時代の同じ場所の空気を知っているはずなのだから。

子供の頃遊び場だった商店街と、大人になって仕事で回っていた場所が一度に出てくるのはなんともいえないものがあった。

特にラスト近く、主人公が韓国に帰る恋人を見送りに、港まで走るシーンの距離感と言ったら、これはもう地元民じゃないと分かるまい(あんな長い距離を走っていくのは不可能^^)

ここまで共感度が高いのに、リアルタイムで見なかったのは、下関全体がこの映画のために一体となっている空気が嫌だったから。

劇中に出てくる年代を見るにつけ、その時自分が何をしていたかというと、明らかに映画の登場人物達とは逆ベクトルの方向を向いていたという記憶しかない。当時だと、プロレスから一時離れ、アニメ、野球、マンガに車に夢中で、異性のことなんかこれっ
ぽっちも頭になかった。だから映画で描かれている光景は、異次元でしかない。

こっちの方がよっぽど私にとってのXファイルである。と同時にとてもうらやましくもある。ねたみすら感じる。それも何か自己嫌悪的に、ではある。これを見て、恋愛部分に共感できる空気の中に、少なくとも私の居場所はない。それだけは断言できる。

ただ、見るまで抱いていた先入観による壁はなくなった。思ったほどキレイキレイした映画ではなかったのが大きいと思う。
韓国と日本の距離感は、あの時代の下関.それも旧市内と呼ばれる中央部で生活していたものには、なお強く感じ得たものであろうし、それには大いに共感できるものがあったのだ。

そもそもチルソク(七夕)という韓国語よりパッチギ(パチキの方が通りがいい)の方が、私の住んでいた地区(映画の舞台でもある場所)でははるかにリアリティーがある単語なのである。

どちらがごく自然に日常会話に出てくるかっていったら絶対後者だったから(そんだけガラ悪いとこなんです。ちなみに映画の舞台と、故.松田優作さんの実家のあった場所は、通り挟んでほんのわずかの距離)。

でも「チルソクの夏」は好感のもてる映画だった。それは見て一番良かったと思えたことである。だから文化庁とかの推薦だのを
大々的に謳うのはやめてね。本当に。

ちなみに「なごり雪」は度々劇中で使用される、この映画の主題歌。ご存じイルカさんの名曲である。実際に雪のシーンは無いのだけれど、見ると実にはまっていた。

下関の繁華街に山本譲二さん扮する流しの歌手がでてくるのだけど、ぴったりはまりすぎていて、実はそっちの方がずっと印象深かったりもするのだが。

-映画鑑賞記