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[追憶のscreen](2)スターウォーズにまつわる四方山話・制作編

今回は「スターウォーズ」の新作公開が迫っているので、便乗してエピソード4初公開時をリアルタイムで知る私が当時の状況等から、その歴史を振り返ってみようと思います。

スターウォーズ(エピソード4)はそのあまりの独創性と、当時の大ヒット状況から、二匹目のドジョウを狙う亜流作品を数多く生み出しました。

その内のひとつに東映が制作した「宇宙からのメッセージ」という作品があります。もともとは怪獣映画を作る企画がありながら、スターウォーズの大ヒットと、ライバル東宝が作る惑星大戦争という作品に対抗する意味で、それをボツにして企画変更した作品です。

つまり、最初はスターウォーズの亜流ではなかったのです。しかし、1977年に『スター・ウォーズ』がアメリカで歴史的ヒットを遂げて、翌1978年夏に日本で公開されるまでには一年のブランクがあることを知った当時の東映・岡田社長は「『スター・ウォーズ』が日本で公開される前に行きがけの駄賃で稼ぐぞ」と名匠・深作欣二監督に企画を押し付けたることになるのです。

しかし、本格的SFを作ったことなどない深作監督は、殺陣師の 菅原俊夫さんと「おい菅ちん、今度は宇宙やるぞ」「どないしまんねん」「宇宙でチャンバラする」「そんなん撮る時間あらへんわ」「大丈夫。そこらにある槍にグリーン塗ってチャンバラすればええ」などというやりとりをされていたそうです。この時点で、東映お得意の時代劇や、やくざものを、宇宙を舞台に変えただけの映画になることは決定していたようなものだったわけですね。

実際、特撮部門には本当にお金をかけたらしく、当時としては最先端の技術を駆使し、フリーのスタッフを大集結させていたことなどから本気で東映が、新ジャンルを開拓しようとしていたことはわかります。

ですが、いかんせんほとんどのスタッフにSF的知識がなかったおかげで、記者会見で披露した宇宙の背景に配置された星を、わざわざ瞬かせるように作っていたり(しかもそれを自慢げに公表して、記者から失笑されていたのです。ちなみに星が瞬くのは空気 温度、湿度、気圧などにより、光の屈折率が変わってしまうため起こる現象なので、空気のない宇宙ではおこりえないのです。)といった具合に、一事が万事とんちんかんなことをしてばかりで、当時ですら、とんでも映画になる予感しかしてませんでした。

「いかにも」「万死に値する」などという大時代なセリフ、ナレーター芥川隆行の名調子に、二刀流の皇帝ミカド、故・成田三樹夫対千葉真一のどこかで見たことあるような一騎打ち・・・とまあできあがった内容は、いかにも「東映」な映画だったわけです。まあ深作映画の黒歴史扱いされるのもわかる気がしますね。

ところが、欧米で流行していたパニック映画を東映でやった「新幹線大爆破」が、ヨーロッパで評価され、「スピード」の元ネタになったように、この「宇宙からのメッセージ」も、実は本家に影響をあたえているから面白いんですね(ちなみに「新幹線大爆破」はとんでも映画ではありません(笑)普通に見ても素晴らしい映画です)。

撮影時には本家『スター・ウォーズ』のスタッフも、本作の撮影現場に見学で訪れており、敵の要塞内部のトンネルを通過するシーンは、後の『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』に似たようなシーンが登場したほどだったりするのです。

本作の特撮に関しては、のちに「宇宙刑事」シリーズを生み出すきっかけにもなり、歴史的に重要な作品にもなっているというのはなかなか面白い事実だと思いますね。余談ですが、その宇宙刑事はのちに「ロボコップ」を生み出すもとになったんですから、これも興味深いと思います。

個人的にはやはりスターウォーズの歴史から「宇宙からのメッセージ」を外すことはできないと考えているのですが、いかがでしょうか?

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