[私的人物伝] アニメーションスーパースター列伝 白石冬美
2019/04/27
アニメの少年役は狭き門
今回は、2019年3月26日に他界された白石冬美さんを語ってみたいと思います。白石さん、いやチャコさんを最初に意識したのは、多分「星の子チョビン」のチョビン役だったと思います。
1960年代からチャコさんは、後々代表的な活動になる声優とラジオパーソナリティーをスタートさせていますが、私がまだ幼年期だったこともあり、白石冬美というお名前を意識させられたのは、70年代に入ってから、になります。
今でいう萌え系の可愛らしいお声のチャコさんは、かの手塚治虫先生をも魅了していたらしく、原作のブラックジャックではピノコの声をチャコさんでイメージしていたと思われる描写があるくらいです。
しかしながら、実はチャコさん自身は女の子役より、男の子役を好んでおられたらしく、ご自身で主題歌を歌われた「怪物くん」(1968年版)では、主人公の怪物くんを演じておられます。ただ、1960年代後半からは活発な不良系少年は、大山のぶ代さんが、ちょっと利発な感じの少年は、野沢雅子さんが演じられるケースが増えていきました。1970年代になると、神谷明さんの台頭により、男性声優が、少年役を演じるケースも出てきました。
当時は今ほどアニメの本数がたくさんあったわけではありませんでしたので、チャコさんほどの実力派であっても、アニメの少年役というのは狭き門でした。
深夜放送とアニメのコラボ
チャコさんが主演された「怪物くん」は1980年に2度目のアニメになりました。チャコさんは自ら藤子先生(当時は藤子不二雄名義)に嘆願書まで出したそうですが、決定したキャストは野沢雅子さんでした。後日、野沢雅子さんがチャコさんに謝ったというエピソードもあったそうです。
このように、チャコさんが思い入れの強い少年役で、当たり役といえば、パタリロが挙げられるでしょうか?正直、昨今の「翔んで埼玉」のヒットや「パタリロ!」の実写映画化の流れから、アニメ化もあるかなと期待していたのですが、仮に再アニメ化されたとしても、正直チャコさん以外のキャストが思い浮かばないほどはまり役だったと私も思っています。
今年亡くなられた藤田俶子さんもそうですが、本当に替えのきかない唯一無二の存在が他界されたというのは、思ったよりダメージになるものですね。
さて、チャコさんの代表的なお仕事としてラジオパーソナリティーがあげられます。今でこそ声優さんのラジオは当たり前のよにありましたが、声優という言葉が生まれる以前から、パックインミュージックのパーソナリティーとしてご活躍されていました。同じくパックのDJとして長く活躍した愛川欽也さんも黎明期のアニメでは声優を務めていました。ただ、これらの番組はたまたま声優経験者がパーソナリティをやっていると言う感じでした。
しかし、宇宙戦艦ヤマトのヒットがこの流れを大きく変えていきます。在京局で先鞭をつけたのはニッポン放送が最初だったと記憶していますが、野沢那智さんと白石冬美さんの「ナッチャコパック」も続いていきます。それは「機動戦士ガンダム」の大特集。確か時期的には、最初の劇場版が公開される直前だったと思いますが、この回を録音していた同級生からテープを借りて聞いたのが、ナッチャコパックとの出会いになりました。
可能ならばラジオだけでも・・・
そこからナッチャコパック最終回まで可能な限り、勉強のためと称しては夜更かしする人間になっていくのですが、ギリギリとはいえ、伝説のラジオ番組をリアルタイムで体験できたことは、私のラジオ人生でも大変大きな出来事でした。
当時、深夜ラジオとアニメのコラボで、出演声優自身がパーソナリティとして関わるケース(しかも、単発ではなくレギュラーで)は、多分なかったと思います。またラジオ発のレコード発売や、先の怪物くんのオープニングのようなキャラソンなど、ある意味現在の声優さんたちがやっているような活動を、すでにチャコさんはやっていらしたわけです。まさに先駆者でいらしたわけですね。
晩年は後進の指導に当たられていたせいか、あまり表舞台に出られない事の方が多かったように思います。特に長年相方としてタッグを組んできた野沢那智さんのご逝去後は、顕著になっていました。
その折の訃報でしたから、やはりショックでしたね。チャコさんにとって野沢那智さん以上のパートナーは考えつかなかったでしょうけど、可能ならばラジオだけでもなんらかの形で続けて欲しかったと思います。
私が聴き始めた時代にはオールナイトニッポンが全盛期に入っており、地方ネットの少ないTBS系列は長く苦戦を強いられていきます。今はアプリでラジオが聴ける時代ですから、ネットしていようがいまいが、雑音なしで全国の番組のほとんどを、日本中で聴くことができるようになりました。
私がパックを聞いていたのはTBS系列の九州局であるRKBでしたが、下関でチューニングすると、決まってウラジオストクの日本語放送が混信してきたのも懐かしい想い出です。時代は移り変わり、そんなAM放送も廃止の方向に動こうとしています。そんな中で深夜ラジオの寵児だったチャコさんが旅立たれたことは私に色んな想いを残しました。
チャコさん…白石冬美さんのご冥福を心よりお祈りいたします。