[映画鑑賞記] 劇場版 ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか-オリオンの矢-
神時代以前より受け継がれている【神月祭】に沸き立つ迷宮都市(オラリオ)――【リトル・ルーキー】として都市を賑わせた冒険者ベル・クラネルと、彼の主神ヘスティアも、その喧騒の只中に身を置いていた。夜の闇を照らし出す、色とりどりの屋台や催し、都市全体を淡く包み込む月光。都市の喧騒の遙か上空で、月は静かに佇み、ただ待っている。英雄の誕生を、そして新たな冒険譚の始まりを――(あらすじはアニメハックより)
冷静になって考えると
TVアニメ「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」の劇場版。TVアニメ版は本編も外伝も好きだったので観賞。ただ、劇場版は、期待以上でも以下でもないという感じの予想通りな感じというのが感想。後半はともかく、少女マンガチックな?前半は退屈極まりなかった。
お話は、レギュラーメンバーが、いつものダンジョンではなく、ちょっと変わったところへ冒険に行って、悲しい思いをしながらも成長する物語…というのが主な流れ。前半は、特段何かが優れているということもなく、内容が薄い。普通原作者が自ら脚本を書くというのは、外れを引く可能性が低いので、まさかと思ったが、冷静になって考えると脚本がおかしいとしかいいようがないところがいくつもあったのだ。
それは主にこの3つからなると考える。
①前半に少女漫画、後半に少年漫画の要素を詰め込んでハレーションを起こした
②時間の尺という小説にはない壁をよく理解できていなかった
③坂本真綾さんの無駄遣い
オチがモヤモヤする
①については、前半のアルテミスとベルくんの絡みに、ヘスティアさまが嫉妬するくだりがそれにあたる。まあ、テレビシリーズのダンまちにもなかったわけではない要素だが、特別劇場版だからやる、というスペシャル感はない。
一転、後半はカラーがかわり、アルテミスを救出する展開になる。質の良い作画と相まってなかなか見ごたえのあるアクションが見られ、こちらはまだスクリーン映えするのだが、その時点で、今度はオチがモヤモヤする事が確定してしまい、どうも感情移入しづらい。結局、アクションの割にカタルシスは得られなかった。
②については、時間がない中でも何かの力か申し訳程度にオールスター出演という更に時間が無くなるという、明らかにストーリーの組み立てミスが目立つのが気になって仕方なかった。
最低、新キャラのアルテミスをあくまで推すのか、それとも従来のキャラ活かすのか、方向性が絞れていないというのは、もしかすると演出上のミスかもしれないが、結果的にアルテミスの描写が中途半端に扱われてるいたことが、感動になるはずだったラストに爽快感をなくしてしまった大きな要因になっていたように思えてならない。
しっかりとした物語を作れば、観客のハートを鷲掴みにするチャンスはいくらでもあるのに、そのタイミングをことごとく外してしまっていたのは、何とももったいないとしか言いようがない。
これもまさに「原作者がやらかすとは…」という思いでほぞを噛む羽目になってしまった。つくづく脚本家と小説家は、似て非なる職業なんだな、と思わざるを得なかった。
ダンまちの世界に帰結するなら
③については、坂本真綾さんほどの実力派を起用しておきながら、アルテミスを魅力的に描ききれていなかったという点が致命的。しかしながら、演出・脚本の失点を坂本真綾さんの演技で、アルテミスというキャラクターが、ちゃんと神々しい存在として描ききれてしまったのだ。更には劇場クオリティの丁寧な作画とも相まって、結局オリオンの矢は、ダンまちの映画というよりアルテミスの映画になってしまったとしかいいようがない。
テレビ版一期はもちろん、外伝だったソード・オラトリオにしても、テレビシリーズはきちんと「ダンまち」の世界観が守られていた。だが、原作者自らが原作と異なる設定変更までしたことで、劇場版のダンまちは、ダンまちではなくなっていた。
本作がアルテミスのための映画というなら、それでもいいんだけれど、最後のオチでダンまちの世界に帰結するようなまとめ方をしているので、結局アルテミスってダンまちにとって何だったのか?が最後までわからないという、何とも口惜しいできになってしまっていた。まさに坂本真綾さんの熱演も、無駄遣いと言わざるを得ないほどに。
先程も書いた通り、作画面でも十分クオリティが高く、キャストも熱演でそれに答えていただけに、脚本は原作者に丸投げではなく、ダンまちの世界観を守った上で、劇場版を作って欲しかった。既報通り、ダンまち二期が放送されるタイミングで、よい形でバトンを繋いで欲しかった。返す返すも残念でならない。