[アニメソング] アニメ的音楽徒然草 小さな船乗り
ストップモーションを多用
今回は、出崎統監督の不朽の名作「宝島」のエンディングである「小さな船乗り」をご紹介します。出崎統監督というとやはり「あしたのジョー」 シリーズが代表作として浮かんでくると思います。実は一見すると関係ないような両作品、とあるキャラクターによって密接に結びついています。
出崎監督の演出手法として有名なやり方に「止め絵」というものがあります。これは動いている絵の中にストップモーションの一枚絵を挟み込むもので、あしたのジョーやエースをねらえ!などの作品では、このストップモーションを多用して印象に残る画面を作り出しています。
他にも出崎演出には後々日本のリミテッド・アニメーションの技術を急速に進化させたテクニックがたくさんあるのですが、特に止め絵については、他の演出家にも模倣され、一般的な手法として定着していきました。
あしたのジョー2では、原作の最終回までアニメ化されているため、有名なジョーの「真っ白に燃え尽きた」シーンも描かれていますが、これなんかはまさに止め絵のために作り出されたかのような、名場面でもあります。あしたのジョーという作品が出崎統という作家に与えた影響は決して小さいものではなかったと言えるでしょう。
「動いて見える」画面作り
ちなみに、テレビ版うる星やつらでシリーズディレクターを務めていた若き日の押井守監督が、あしたのジョーで使われていた止め絵のパロディを披露し、話題にもなりました。
元々、手塚治虫先生の虫プロで、アニメーターとして活躍していた出崎監督は若くして「あしたのジョー」(パート1)でシリーズディレクターデビューするわけです。
出崎統監督の世代は、東映動画やかつてのディズニーが得意にしていたフルアニメーションをあまり体験することなく、リミテッドアニメーションという作画枚数に制限のある中で、より「動いて見える」画面作りを意識していたと私は思っています。
ですから、フルアニメーションの呪縛にとらわれることなく、柔軟な発想ができたのかもしれません。
あしたのジョーが作られた時代は、虫プロが斜陽の時期に差し掛かっており、手塚アニメだけではやっていけない時代でした。だからこそ、出崎演出が頭角を現す事ができたのではないか、と私は思うのです。もし、昭和40年代の手塚アニメを出崎監督が任されていたとしたら、おそらくあのような斬新な演出は生まれなかったかもしれません。
海の男とは何か?を示唆する
後年、出崎統監督はブラックジャックをアニメ化しますが、手塚カラーというより完全に出崎カラーが前面に出た作品になっていました。
さて、話を「宝島」に戻しましょう。この作品に出てくる海賊シルバーは、主人公・ジムに対して時に導き、時に敵対しながら、海の男とは何か?を示唆する役回りを演じていました。
このシルバーのキャラクターは出崎統監督が「あしたのジョーの力石徹からインスパイアされた」事を公言しています。あしたのジョーでの力石は、主人公・矢吹丈のライバルとして登場しますが、宝島のシルバーは、ジムに対しての「人生の先輩」という立ち位置にいました。
ですから、当然表現方法も異なるわけですね。シルバーの声を演じた若山弦蔵さんは、シルバーというキャラクターには適任のキャスティングだと私は思いますが、力石に当てはめると少し渋すぎる感じがします。
しかしながら、力石徹という稀代の名キャラクターに影響を受けた出崎版のシルバーは実に目力のある、漢気溢れる海の荒くれ者として描かれているのは間違いないと私は思っています。
これで冒険は終わりなんだ
先程から散々語ってきたように、出崎演出のキモでもある「止め絵」は宝島でも効果的に使用されています。特に印象深いのが、最終回の一番最後でシルバーが振り返るシーンがあります。この名シーンはいろんな作品でインスパイアされていますが、どんな美辞麗句も及ばないほど、説得力のある絵には、ただただ圧倒されるほかありませんでした。
宝島は音楽家としても名高い、故・羽田健太郎さんがアニメデビューした作品としても知られており、オープニングの「宝島」、エンディングの「小さな船乗り」共々羽田さんが手がけ、実力派の町田よしとさんが歌っています。
オープニングは壮大な冒険を連想させ、エンディングは静かな幕引きを想像させます。特に最終回では、シルバーのアップからのエンディングなので、特に切ない感じがします。宝島全26話を見終わった時に、私は「ああ、これで冒険は終わりなんだな」という一抹の寂しさを覚えたものでした。
と同時に、最終回で一人前の船乗りになったジムが新しい冒険に旅立つ予感も感じさせてくれました。かつては小さな船乗りだったジムが立派になった姿に、きっとシルバーも内心喜んでいたんではないだろうか?と私は想像しているのです。