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[アニメソング] アニメ的音楽徒然草 愛をもう一度

中には酷い作品も

今回は1979年に公開された劇場版未来少年コナンの主題歌、研ナオコさんの「愛よもう一度」をご紹介します。1979年といえば、「ファーストガンダム」こと機動戦士ガンダムが世に出た年でもありますし、銀河鉄道999やルパン三世カリオストロの城など歴史に名を遺した作品が多数輩出された年でもあります。まさにアニメブームの絶頂期にあった時代でした。

1980年代は宇宙戦艦ヤマトを筆頭に、テレビアニメを再編集して劇場版として公開するケースが非常にたくさんありました。しかし、元々劇場鑑賞に耐えうるつもりでつくらていないため、中には酷い作品も多かったのです。

しかも、再編集版の場合、テレビ版と監督が異なる事も珍しくなく、テレビ版のイメージで劇場に観に行くとガッカリさせられるケースもたくさんありました。

実は劇場版未来少年コナンもご多分に漏れず「がっかり」な作品であります。テレビ版未来少年コナンは、言うまでもなく巨匠・宮崎駿さんのシリーズディレクターデビュー作になります。が、映画に関しては全くのノータッチです。それはなぜなのでしょうか?

評価は非常に低かった

一説によると、宮崎さんは劇場版の依頼を打診された際に「全26話を上映するなら」という条件を出したそうです。そもそも宮崎監督は、再編集上映には否定的な見解を示していましたから、まあ当然といえば当然でしょう。

ジブリ以降の宮崎さんなら「鶴の一声」で通る要求でしょうけど、いかんせん劇場版未来少年コナンが立ち上がった時点での、宮崎駿監督の評価は非常に低いものでした。

宮崎さんは1978年に未来少年コナンを手がけたのち、1979年には初の劇場作品となる「ルパン三世カリオストロの城」を世に送り出していますが、当初カリオストロも興行的には惨敗という結果に終わっています。

しかしながら、カリオストロの城はのちに毎日映画コンクールにおいて、当時アニメーション映画に与えられていた「大藤信郎賞」を受賞していましたが、一方でイタリアとの共同制作になる「名探偵ホームズ」をわずか4話で降板するなど、監督としては最も不遇な時期でもありました。

1982年にアニメージュ誌で連載をスタートさせた「風の谷のナウシカ」は、いわば宮崎さんが糊口を凌ぐ意味で作られた作品でありました。そんな時期に持ちかけられた監督の依頼なら、飛びついても不思議ではないのです。

糊口を凌いだ作品

実際、東映動画(現・東映アニメーション)を飛び出した直後の宮崎さんは、東映時代の先輩・楠部大吉郎さんが主催するAプロダクション(現在のシンエイ動画の前身)に籍を置いて、それこそ糊口を凌いでいたわけですが、その中の一つが「ルパン三世」だったのです。

80年代のアニメ誌やムック本に掲載された宮崎さんのインタビューを読むと、仕事の一つとして関わったルパン三世には、それほど思いいれはなかったのではないか、という印象を私は受けました。

糊口を凌いだ作品(カリオストロの城)も低評価(そもそもルパン三世のファーストシリーズは打ち切り作品でした)で、原作付きとはいえオリジナル色の濃いコナンでは再編集という条件を出され、合作もうまくいかないという中で、宮崎監督のストレスは相当なものがあったと推察されます。

この反動がナウシカアニメ化からジブリ設立にあたり自らを「天皇」と称し、「独裁」に走ったエネルギーになったのではないでしょうか。

さて、そんな宮崎監督が出した条件が飲めるわけもなく、劇場版未来少年コナンは別な監督を立てて再スタートします。「未来少年コナン」を制作した日本アニメーションの本橋浩一社長とニッポン放送のラジオプロデューサーだったドン・上野さんが同級生だった関係から、ニッポン放送側から日本アニメーションに映画化の話が持ち込まれ、東映が製作協力と配給を行うことで製作が決定しました。

宮崎さんが参加していない劇場版では、物語がかなり改変されており、ハイハーバーやギガントの存在が割愛されていて、また、ラオ博士が死亡しなかったり、インダストリアが沈まないなどテレビシリーズとは異なった仕上がりになっています。

劇場で観なくてよかった

実は当時でも、安直に総集編を劇場公開した関係者を批判する声も少なくありませんでした。ビデオやLDは1984年に発売されたものの、現在絶版状態にあります。当然ファンの反応はあまり芳しいものではなかったからだ、と思われます。

しかしながら、当時はかなり大々的な宣伝もされていました。映画を盛り上げるべく、1979年7月20日には、ファン1万人を集めて、日本武道館で「コナン・フェスティバル」を開催しています。

またニッポン放送は、映画公開の前日深夜となる1979年8月31日には『オールナイトニッポン』で4時間の生放送を行い、その中で新たに書き起こされた台本で本作の生ラジオドラマも放送されています。演出は映画化を持ちかけたドン上野本人で、声優さんもゲスト出演してファンと電話で交流したりしました。

当時、アニメファンにも人気が高かった谷山浩子さん(後にオールナイトニッポン木曜二部を担当)が作詞作曲に起用されたのも、ニッポン放送の「本気度」が伝わってくるように思います。歌い手に当時既に一線級の歌手として知名度があった研ナオコさんを起用したことで、映画の内容に反比例して「愛よもう一度」は実に素晴らしい名曲になりました。

私は公開からだいぶ経ってWOWOWで放送された劇場版を鑑賞したのですが、正直劇場で観なくてよかったと心の底から思いました。と当時にこれがアニメ主題歌デビューになってしまった谷山浩子さんと研ナオコさんが気の毒に思えてなりませんでした。

谷山さんは、のちに1983年の「ななこSOS」や1984年の「綿の国星」、2006年にはスタジオジブリ製作の映画「ゲド戦記」の挿入歌「テルーの唄」の作曲等々を行ったことで、とりあえず面目躍如を果たしましたが、2018年現在、研ナオコさんが関わったアニメ作品はこの「劇場版・未来少年コナン」しかなくて、そういう意味ではなんとももったいないなあと思わずにはいられないのです。

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