[アニメ感想] 2018年冬アニメ完走分感想文 ゆるキャン△
志摩リンは「一人キャンプ=ソロキャン」が趣味の女子高生。11月の寒空にもかかわらず、自転車を走らせて今日は本栖湖でソロキャン。冬のキャンプ場はリンの貸し切り状態だけど、なぜか外のベンチでずっと眠りこけている女の子が……。その子の名前は各務原なでしこ。山梨に引っ越したばかりで、“千円札の絵にもなっている富士山”を見に来たらしい。ひょんな出会いをきっかけに、二人は夜の本栖湖で一緒に過ごすことになり……。(あらすじは公式HPより)
部活は、アニメの敵だった
今期は図らずも日常系アニメが激戦区になってしまったが、キャンプと美少女というありそうでなかった組み合わせで、私はゆるキャン△という作品が、激戦区から一歩リードしたと思っている。
私ごとで、あれなんだが、実は中学生のときに、イヤイヤ入ったボーイスカウト部で、散々屋外キャンプ体験をしてきている私からすると、21世紀になってよもや、アニメでキャンプものが描かれるようになろうとは、つゆほどにも思わなんだ、というのが正直なところある。
中学生当時、既にドップリおたくになっていた私にとって部活は、アニメの視聴時間を奪う「敵」だった。ビデオもない時代に、リアルタイムで観ないと二度と観られないかもしれないことは、一大事だったのだ。しかし、今ではある程度まではネットで自由に鑑賞できる時代である。リアルタイムにこだわらずとも、楽しめるわけだ。
こんなことならもう少しまじめに部活楽しんでおけばよかったと若干の後悔混じりで、でも自分がキャンパーだった時代を懐かしむように、娘ほどの歳の子達のキャッキャウフフぶりを、毎週微笑ましくながめていた。
フィクションなら可能なやさしい世界
しかし、現実問題、ゆるキャン△のように、女性がソロキャンしたり、女子高生同士が、冬の屋外でキャンプするなんてことは、防犯上の問題も含めて難しいだろうなあ、とはおもう。ましてや野生生物が人里におりてきて、被害が出ている昨今、人間だけが大自然の中でまったりするのも厳しいだろう。
だからこそ、ゆるキャン△が「絵に描いた餅」としての役割を果たせているのだ、と私は考える。現実にやると難しいことでも、フィクションのやさしい世界でなら描くことは可能だからだ。もちろん、キャンプの描写に関してはきちんとした取材をしていると思われる。何せ私がキャンパーだったのは四半世紀以上前の話だし、知識は古くてあたり前なので、真偽のほどを確かめようにも無理というものだが・・・
前述した通り、ゆるキャン△は、女子高生のキャッキャッウフフな日常とキャンプモノを合体させたフィクションでもある。肝である女の子たちがかわいいのはもちろんだが、実は要所要所で大塚明夫さんの渋い声でナレーションが入ってくるのもミソなのだ。あの説得力のある声で、うんちくが語られると結構聞き入ってしまう。それくらいのパワーがある。
キャストを抜群な形で配置しているのもゆるキャン△の魅力だったと思う。今期は冬キャンが題材になっていたけど、ぜひ二期以降ではほかの季節も題材にしてほしいところである。見事今期の日常枠の覇権を実力で勝ち取った感のある「ゆるキャン△」の世界と、また出会える日を楽しみにしておこう。