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映画鑑賞記・シン・ゴジラ・ネタバレ版

これほど2度目の鑑賞が待ち切れなかった映画も珍しい。一通りネタも出回ったにも関わらず満席の観客。お盆ですらここ数年記憶にない観客動員なのは疑いようもない。

しかも老若男女実に年齢層が幅広い!こんなにバラエティに富んだ客層はかなり珍しいし、その上、えも言われぬ熱気すら感じる。まさに東宝チャンピオンまつりの全盛期に迷い込んだかのようだ。ただあの時代はやはり子連れファミリー層だったはずだから、今回のシン・ゴジラは今までの想定をはるかに凌駕しているといっていい。

まさに作中で繰り返される「想定外」が現実に劇場でおこっているのだ。よもや邦画でこのような体験ができようとは夢にも思わなんだ。

ところで私が考える有能なクリエーター像には三種類ある。

(1)縛りやくくりがあると、それを凌駕しようとエネルギーを放出するタイプ

(2)しばりやくくりが逆に才能を発揮する妨げになり萎縮するタイプ

(3)オリジナルを作らせると破綻していくタイプ。

(1)に値するのは宮﨑駿や高畑勲がそれに該当すると私はにらんでいる。(2)は妖怪ウォッチなどを作り出したレベルファイブの日野晃博。そしてシン・ゴジラの総監督、庵野秀明は(3)の典型。あくまで私感であるので、異論は認めよう(これが確定でないことはキューティーハニーの実写があるからだ)。

庵野秀明が(3)である理由は明白で、学生時代に作りあげたダイコンフィルムの諸作品は、その全てがパロディの枠には収まらないオマージュであり、それはエヴァンゲリオンの前半部分までが、ウルトラマンや各種特撮のオマージュであふれかえっていることからも明白ではないだろうか?つまりそこは庵野秀明にとってのモチベーションであり、一番表現したい部分でもあるはずなのだ。

今回のシン・ゴジラはまさに公式から直々にお墨付きで依頼された仕事であり、本来庵野秀明がしたかった仕事であるはずなのだ。もはやスタジオに行けなくなるほど病んだエヴァからの逃避は「しなければならない」義務からの逃避でもあり、自分を守るためには仕方ない行動でもあった。

人間、天才であろうが凡才であろうが、よい仕事は「したい!」という強烈なモチベーションなくしてなしえない。しかし、やりたい仕事ばかりできるわけではないから、人間は苦悩する。それはサラリーマンだろうとクリエーターであろうと変わりはない。

庵野秀明が代表をつとめるスタジオカラーの次作がパトレイバーと聞いた時に、オリジナルを選択しなかったセレクトに感服した。そう、庵野秀明のモチベーションはオリジナルの創造ではなく、自身が影響を受けた作品群のオマージュのなかでこそ実力を発揮する。

時期的にオリジナルパトレイバーの製作時に、庵野秀明は既にプロのアニメーターとして仕事をしていたのだが、プロになってなお、機動戦士ガンダム・逆襲のシャアに大いなる影響を受けている彼のことだ。世代の近いクリエーターが生み出したパトレイバーになんらかの憧憬があったと想像してみるのも面白いかもしれない。

さて、シン・ゴジラは1954年のファーストゴジラへの徹底的なオマージュを捧げた作品でありながらひとつ大きく異なる点がある。それは科学的に実証が不可能なオキシジェンデストロイヤーなる超兵器が一切登場しない点である。

もちろん東宝特撮マニア的にはメーサー砲や、スーパーXらとゴジラの激闘や、他怪獣との怪獣プロレスにも思い入れはあろう。庵野秀明自身が何より怪獣プロレス華やかなりし頃に幼少期を過ごしているのだ。しかし天才・庵野は怪獣プロレスを捨て、ゴジラ対日本に焦点を集中させた。これは見事な判断というしかない。

特撮ファンといってもいろいろあって、庵野秀明の出自はウルトラマンにあるのは有名な話。これは想像だが、ウルトラマンを撮るとなると今度は仕事にならなくなってしまう危険性があった。学生時代に制作した帰ってきたウルトラマンはアマチュアだからできた作品ということもいえるだろう。でもあれから時間もたって、プロのお仕事としてやる場合、ゴジラというのはちょうどいい「しばり」になったのだと思う。

ウルトラマンは当然毎週異なる怪獣とウルトラマンが闘うわけで、元祖怪獣プロレスをやったゴジラシリーズでそれをやらなかったのは、庵野秀明のゴジラへの敬意と、プロフェッショナルとしての仕事への責任感を反映していると思われる。同じゴジラがらみでも「流星人間ゾーン」のリメイクの依頼だったら、完全にウルトラマン系のそれになっていただろう。

面白いのは東宝が制作を依頼しながら、そこからの要求(タイアップ等)をことごとくはねつけて完成にごきつけたというから興味深い。ここを断れなかったのがおそらく樋口監督単体の作品が低迷した要因だったのかもしれない。ここにも「NOといえるクリエイター」庵野秀明の存在が大きかったことをうかがわせる。

そこまで突き詰められたのはやはり1954年版ファーストゴジラへのオマージュをささげたいというある意味ピュアすぎる特撮少年の魂が「やりたい」と強く願ったからだろう。

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