それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ〜健康と幸福の追求⑥
生活を見直す転換点
私は、これまで自己紹介するときに、なるべく「無職」というようにしてきました。今現在、定職につかず、貯金を切り崩して生活出来ているし、あと数年は生活できる蓄えもある事が一つ。諸事情でフルタイムで働けないという理由が二つ目。自分の目指す方向には、健康と幸福であればいいというのが三つ目の理由になります。
とはいえ、最初から無職だったわけではありません。私が社会に出てからは、ほぼほぼブラックな働き方しかしてきませんでした。そこには、今なお好きな事ではお金が貰えないという強い思い込みもありました。
仮に思い込みがなかったとしても、自分のやりたい事で需要を生み出せるとも思えません。それを踏まえた上で、ここでは自分の考える健康と幸福について述べていきたいと思います。
2018年は特に年末において、自分の生活を見直す転換点になったと私は思っています。それを受けて、今回は2019年をどう過ごしていこうか、というお話をしたいと思います。このブログでは散々書いている通り、昨年末は腸閉塞になり、なおかつ実家の両親のボケが進んできたこともあり、否が応でも自分のライフスタイルを見直しせざるを得ませんでした。
この二つは時期がすぎれば解決するというわけではなく、ほおっておけばどんどん状況は悪化していく一方です。介護の件については、また別な記事で詳しく書いていくとして、こちらでは自身の健康問題について、さらに詰めていこうと思います。
「慣れ」という問題
腸閉塞と診断された「1度目」は、一週間ほどで通院が終了しました。しかし、 一月もしないうちに再発の兆候が現れ始めました。最初の診断でも聞いていましたが、私の腸閉塞というのは、腸自体が捻れておきたのではなく、腸の働き自体が悪くなって、閉塞状態になっていたものでした。したがって、一時的に寛解したからといって、二度と再発はしない、というわけではなかったのです。
もちろん私とて、何も手をこまねいているわけでもなく、服薬と並行して鍼灸治療や、以前から継続しているヨガもやっていましたが、思った以上に再発時期は早くやってきてしまい、一か月とたたないうちに、再び消化器系クリニックの門を叩くことになりました。
折しも時は年末。クリニックは想像以上にごった返しており、検査・診察・待ち時間あわせて半日あまりの時間を費やしましたが、気づきが早かったことで、医院がお正月休みに入るという最悪のタイミングになる前に、薬を処方してもらえたので、大晦日もお正月も普通に過ごすことができました。
幸い三が日あけには病院もひらいていたため、再び診察してもらい、一月いっぱいは服薬して様子見することになりましたが、しばらくすると、今度は別な問題がでてきました。それは「慣れ」でした。
服薬を続けていくと、ある時期からそれが習慣化し、服薬当初に見込まれていた効能が、次第に現れにくくなってくるわけです。こうなると、腸の働きが鈍り始め、便秘がちになり、体外に毒素がでていかない、という事態が予想されました。
服薬というのは基本用法・用量を正しく守ってこそ、が大原則です。一時期私も服薬していた睡眠薬などは、その最たるもので、眠れないからといって用量以上の数を過剰摂取した場合、生命の危険に身を晒しかねないわけです。とはいえ、体内に毒素をためこめば、また昨年11月の二の舞になりかねないという危惧もありました。散々悩んだ末に、私は服薬量を一時的に増やし、体調が整った時点でもとの量に戻してみました。
薬の力を借りてでも
睡眠薬ならまだしも、私が消化器系の薬品にこれだけ過敏になっているのは、緑内障の影響があるからです。私が服薬している腸閉塞の薬は、前もって医師に緑内障であることを伝えているため、用量を守る分には問題ないのですが、万が一、過剰摂取で目に影響が出てはたまりません。
実は市販胃腸薬と緑内障の薬は相性が最悪で、眼科からは「くれぐれも市販の胃腸薬は服用しないように」言われているのです。幸い、過剰摂取は2日ほどで終わり、私はまた通常の服薬ローテーションに戻すことができました。
しかし、身体のあちこちにガタがきていると、薬の飲みあわせ一つとっても慎重にならざるを得ません。仮に私が未だに睡眠系の薬にお世話になっていた場合、この程度ではすまないでしょう。
薬は、適量だからこそ効果を発揮します。過剰摂取は、その分身体に対して毒にもなりうるものです。だからこそ、昔は薬を減らしたくて、カウンセリングの勉強もしましたし、かつては逃げて逃げて逃げ回っていた、自分と向き合うという作業もしつこいくらい続けてきました。
たしかにそれによって一時的には減薬に成功はしました。ですが、これまでの生活習慣の積み重ねや、加齢による回復力の低下は、新たなる薬を必要としました。したがって、現在は以前より服薬量が増えているわけですが、これに対して抗う気持ちは、今の私にはありません。私には、薬の力を借りてでも健康な生活を営みたいという気持ちが強くあるからです。
つくづく歳を重ねてからの健康は、努力なくしては成り立たないのだな、という教訓を、昨年末からの一連の騒動で、私は十二分に骨身にしみて理解させられたのでした。