怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(211) 最終章「引き算の生き方」⑧
2018/09/07
思い込みにとらわれていた
長い間続けてきた当ブログの役割もそろそろ終盤に向かいつつあります。最後はここまで気づいてきたことで、私の何が変わり、どこへ向かおうとしているのか?そして、最近私が提唱している「引き算の生き方」とは何かを可能な限り説明したいと思います。
つい最近まで、私はこんな思い込みにとらわれていました。
「仕事をやめると好きな事ができないから、働かないといけない。だから嫌な仕事でもやらなければならない。何よりお金がないと生きていけない。などなど…」
これらの思い込みを思い込みだとわからないまま生きていると苦しくなるだけです。実際、私は表向き介護という名目で無職生活を満喫しています。基本、プロレス観たり描いたり、アニメ観たりしているなど趣味の時間は最優先してますが、それ以外は介護の時間を除くと、基本食べて寝ているだけの生活です。
思い込みだって気づくと
以前の私は違ってました。仕事のために食べて、仕事のために寝ていました。仕事しているから、私はダメ人間にならずにいられている、という思い込みに支配されてもいましたから、疑問すらさし挟む余裕もありませんでした。
しかし仕事を失い、思い込みを捨て去ると、意外に無職でも生きていけていたわけです。無職という肩書きは自分には意外とフィットしていましたし、仕事をしない、という事も人生の上では選択肢になりうることに気づきました。
そう、思い込みだって気づくだけでも、実はとんでもなく人生は変わります。私はお金こそありませんが、生きていくには特に困っていません。少なくとも路頭にはまだ迷ってはいません。
よくよく考えてみると、私も長いこと生きてきました。もしも、一つところの会社に勤めあげていたら、定年を意識する年齢になりました。
そうなると、健康上の問題もありますが、若い頃と同じように遮二無二働くことが難しくなってくるわけです。実際、定年という制度は残るとは思いますが、終身働き続ける時代に突入している以上、その都度都度の自分に合った生き方は考えないといけないでしょう。
やりたいことは続けられる
戦国時代なら「人生50年」だったかもしれませんが、今の世が倍寿命があるとしたならば、人生の折り返し点に来ている自覚はもつ必要があるでしょう。
とは言っても、私はまだまだ生きるつもりではいますので、現時点でくたばるつもりはありません。そのために、カウンセリングを受け続けて心をほぐし、今はヨガで身体をほぐす最中にあります。心身両面から自分が楽に生きるためのアプローチを続けているのです。
ただ、私がやっているヨガもカウンセリングも万能ではありません。事実、私のように、医師の診断で病名がついてしまうと、まず服薬ありきの治療が必要になりますし、完全に薬をやめるには、まだ時間がかかりそうです。
個人的な経験から、第三者による、劇的な変化が遂げられる魔法などこの世には存在していないと、私は思っています。自分が他人を変えられないように、他人も自分を変えられないのです。自分を変えられるのは、この世で自分しかいないのです。
幸か不幸か、私は緑内障を患ったことで、負荷のかかる働き方や、自分で気がつかない内に限界を超えてしまうと、三カ月に一度の検診で、たちまち悪い方の数値になって現れるわけです。発見が早かったからこそ、運良く失明を免れてはいますが、治る病気ではないので現状維持に努めて、継続的な治療を、生きている間はし続けなければなりません。
しかし、それはいやな訳でもなく、ましてや煩わしいわけでもありません。自分の健康により注意することで、快適な人生を送ることができるならば、それは「やりたい」ことなのです。だから、続けていられるのだと私は思っています。