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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(186) 自分の問題と向き合うための10の闘い(86) 残された時間⑥

見知らぬ隣人たち

私が家を出ようと思った大きな要因は、両親のことだけではありません。実家暮らしを長いことしてきましたが、ぶっちゃけ家には寝に帰るようなもので、近所にどういう人が住んでいて、両親とどういう付き合いをしているのかということなど、全く知りもしませんでした。ですので、近所の人は私を知っているけれど、私はその人のことを知らないということがよくあるわけです。

私が住んでいる団地は、高度成長期のサラリーマンが土地付きの家を買ってできた町です。従ってそのサラリーマンたちが退職し、引退して、自分の家にこもり、育てた子たちは全員市外へ出ていってしまったため、残っているのは現在の高齢者ばかりです。

ところが、土日祝日、盆暮れ正月も関係ない仕事をしていた私にとっては、街がどう変化していったかなんて全く分かっていないのです。気が付いたら子どもの姿を見ないな、とは思っていましたが、まさかここまで年寄りの街になっているとは思いもしませんでした。

気が付くと近所のデイサービスの車をよくみかけるようになりましたし、子ども会も全く機能していないと聞いてはいました。しかし子どもがいない私にとっては事態が思った以上に深刻になっているとはこれっぽっちも気がついてはいませんでした。

便利な足代わり

とある年末の日のことです。私が小倉へ向かおうとして、車のエンジンをかけた時に、(私にとって)見知らぬ老人が声をかけてきました。いわく「最寄り駅までのせていってほしい」というのです。

まあ、街中でしたらガン無視ですが、町内の人間関係もあるし、むげに断って後で災難にあうのも嫌なので、引き受けました。

老人はお礼を言って降りていきました。礼を言うだけ、うちの年寄りよりはるかにましだし、実際ほんの5分ほどのことでもあったし、行きがけでもあったので、特別困りはしないのですが、私には老人を降ろしてからももやもやが消えてなくなりませんでした。

前に書いた通り、私が住む町内は老人の街です。そして私が知らない老人たちは私のことを知っていて、おそらくですが、うちの両親が私をタクシーがわりにしているのを知ってると思われるのです。そうするとどうなるか。この老人が町内でほかの老人たちにこのことを触れ回れば、「我も、我も」とほかの老人が私を無料タクシーとして頼ってきなねない、と思った瞬間に背筋がぞっとしたのです。

「これはなんとしても避けねばならない」とその時は固く誓いました。なぜなら礼も言わない私の両親は、おそらく送ってもらっていることを何とも思っていません。

自分の身を守るために

実際両親がデイサービスをやめたのも「送り迎えの車がほかの地域を回って自分が後回しにされる」というものでした。私ならば、よそも回らず、まっすぐ家に帰りますし、なんといっても彼らにとっては「無料の足」です。こんな便利なものを手放すはずがありません。

デイの送り迎えはサービスの都合上、回る順番とかもあります。ひとりのわがままをきいてしまったら最後、ほかの人のわがままもきかないといけません。そしてそれが嫌でデイサービスの利用を拒否している、ほかに運転手のいない家庭は町内にたくさんあるわけで、彼らの面倒まですべて引き受けていたらこちらがつぶれてしまいます。

その強い危機感があるため、年明け早々にでも市の「こまりごと相談」に駆け込もうと思っています。年末年始にかかってしまったことが不運でしたが、残った時間でなんとか自分の身と自由を守らないといけません。

このままだと自分の生活も脅かされない危機感が、今の私にはあります。だからこそ、この問題は真剣に考えないといけないと私は思っています。

しかし、最初はよもやとは思いましたが、この問題に気づかせてくれたことを、件の老人には感謝しないといけないですね。でないと、気が付いたら私がどうにもこうにも身動きが取れないくなっていたかもしれないのですから。








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