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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(182)自分の問題と向き合うための10の闘い(82) 残された時間②

師走に感じる違和感

12月は別名師走というくらい慌ただしさが日常になりがちです。個人的には10月の自分の誕生日からクリスマスイブまでがジャスト二ヶ月になるからか?やたら過ぎ去るのを早く感じるのです。また、会社員時代はこの時期、イベントまたイベントというくらいにせわしなく追われていたせいもあり、クリスマスやお正月は自分が主役である感覚というのがほとんどありませんでした。

しかし、これは何も社会人時代からそうだというわけではなく、子どもの頃からずっと「自分は主役じゃない」感覚を持ち続けて生きてきたため、ある意味当然の流れでもあったわけです。

子どもらしい子どもは、自分がしたい、やりたい、と思うとストレートに口に出し、時にはダダをこねてでも自分の欲求を満たそうとします。親の立場としてはたいへんなことですが、子の側からすれば至極当たり前なことをしているだけです。だって主役なんですから(笑)

大人になっての生きづらさ

でも、この主役感を持たない子どもや、自分の欲求を口に出せない子どもはどうなるか、というと大人になってからの生きづらさにつながっていきます。

私の両親世代だと、戦時中に子ども時代を過ごしています。想像するに、自分の欲求を口に出すことも憚られる時代を生きてきたので「わがまま=悪」だという刷り込みが出来ています。

そんな親世代からは、おそらく「親を困らせるのは悪い子だ」というメッセージが放たれていたわけです。これをどう受け止めるかは、子ども世代…つまり我々の問題であります。そのまま受け取るか、あるいは「自分は自分の人生の主役なんだから、親が困っても自分の生きたいように生きる」と思っている人は、親の言うとおりにはしないでしょう。

私の場合は親からのメッセージをそのまま受け取っていました。そしてそれを強化して育ってしまったため、自分がしたいことよりも、親の面倒をみる長男としての役割を全うしようとしたわけです。

親は自分たちが満たされなかった幼少期のわがままを自分の子どもに肩代わりさせられるので、言いたい放題いってきます。そして「親は子より偉い」という認識があるため、「してもらって当たり前」という感覚しかありません。

永遠に認められない感覚

子としては、親に認められたい一心で精一杯親からふられた役割を果たそうとしますが、親は子より偉いと思っているため、子の努力は当たり前としか受け取りません。当然感謝することもないため、要求は際限なく肥大化し、子はだんだん疲弊していきます。永遠に認められない感覚というのは、はたから見ている以上に辛いものです。

親もだんだんと年老いていきますから、自分がわがまま言っている自覚もなくなっていきます。しかし自覚があろうとなかろうと面倒見ている側は同じことです。たまにキレるくらいならまだいいのですが、これが積もりに積もっていくと殺傷事件にもつながっていきます。

幸い、私の両親は四六時中介護の必要がないおかげで、半分家を空けることもできてます。これがあるおかげでどうにか正気を保っていられるところもありますが、もし四六時中一緒にいたらどうなっていたかと思うと、ちょっとぞっとしますね。たとえ両親であっても他人ですから、変えることはできません。だとしたら現状でできる範囲で自分がどうしたいか、を常に考えていく必要がありますね。

それには常に自分が自分の人生の主役であることを意識していく必要があります。今までは言ってもわき役に過ぎなかったクリスマスなどのイベントごとを、自分のためにあるハレの場として意識できるかどうか。そこまでいかなくても他人事だったり、盛り上げ役としてサポートに回るという人生をそろそろやめてしまいたいのです。人の支援をするだけの人生はそろそろこの辺で終わりにしたいですね。









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