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せっつかれる感覚とは・・・

今回は年々強くなる「せっつかれる感覚」についてお話ししましょう。

10月24日でまたひとつ歳をとりました。成果主義に凝り固まりやすい私は「今年もあまり変わらなかった」とボヤく癖があり、自己評価に関しては決して高くありません。

できていることより、できないことにフォーカスしがちなのは、自己肯定感のは低い人によく見られる傾向ですが、私もご多分にもれません。

ましてや歳を重ねるごとに、光陰矢の如し以上のスピードで過ぎ去る時間に対して日々焦りのようなものを感じずにはいられません。パートナー探しの問題も、ついつい楽しむ感覚より「早くしなければ!」という、せっつかれるような感覚の方を強く感じます。

なぜ、せっつかれる感覚が強まっているのか?

このせっつかれる感覚は年々強くなっている感じがします。ですから、ついつい事を急いては仕損じる結末が多くなっているのかもしれませんね。

では、なぜせっつかれる感覚が年々強くなっているのか?というと、やはり人間の生命は有限であり、その終わりがいつ来るかは誰にもわからないからでしょう。

とはいえ、やりたいことはその都度ある程度やり切ってきた感もあるので、明日生きていられなくてもそれほど悔いは残らないだろうな、とも思っています。

生命が有限である以上、プロレスにしろアニメにしろ、全てを味わい尽くすのは、無理な話です。ただ、まだ自分の人生の中で手をつけていない部分については、何とか生きているうちに体感しておきたいなあ、とは思っています。

如何にして「待てる」か?

カウンセリングや傾聴の技法を学ぶ際は必ず「待つ」ことを学びます。その前提には、基本私とあなたは違う人間であり、過去と他人は変えられないという事実があります。だからこそ「待つ」必要があるわけです。

しかし、それがわかっていながらついつい結果を早く出したくて、焦りを感じてしまうことが、最近も多々あるので、これがいかにして待てるか?が当面の課題ではありますね。

生きている限り、はじまりと終わりは常に付きまといます。終わる時は割とあっけないもんだなあ、というのはしみじみ実感します。悔いは残って当たり前。だけど、あっけない最期でも、最終回くらいはどこかに爪痕が残せていたらいいなあ、というのが、ささやかながらいまの願いでもあるわけです。









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