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怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(93) 私が人に合わせることがキライな10の理由(4)

2017/01/25

人に合わせなくていいという感覚を手にいてるまでは、よく私はこんなことを考えていました。

「こんなに私は人に合わせているのに、なぜ人は私に合わせてくれないんだろう」って。

でもこれは人にとって、私が都合のいい人間なだけで、逆はまずないんですよね。

人に合わせるのがイヤな最大の理由は、人な私には合わせてくれるとは限らないことに尽きると思います。しかし、これは至極当たり前の話で、人と私は違う人間である以上、たまたま都合を合わせられたのが奇跡みたいなものなのです。むしろ合わないのが当たり前であり、と同時に合わせないのも個人の自由です。

ここで「相手がどう感じるか」「相手がどう思うか」は関係ない話で、「自分がどうしたいのか」が明確になっていないとフラフラするだけになります。かつての私はまさにそうでしたね。お声がけいただけたら「これもご縁だと思ってでかけてみよう」と思ってでかいけていくのですけど、結局求めた承認は得られずに、みじめな感覚を抱えてかえっていました。

そこで今でも思い出すのが私が初めて行った同窓会のことでした。たまたま二度目の失職をしたタイミングで、ちょうど病気で倒れる前でした。次の仕事もなかなか決まらない中で、なんか救いを求めていったのですが、結果は惨憺たるものでした。皆結婚もして仕事は順調、実に幸せそうなメンツが楽しそうに話をしている、それはそれはキラキラ輝いた場所でした。本当に針のむしろに座らせられている気分でした。

その後、私に同窓会のお誘いもなく(大学のは今でもきますが、遠いので行けてないです)、げんなりした体験だけが今も私の中に苦い感覚として残っています。

しかしその後闘病生活に入ってしまったもので、社会とは本当に断絶してしまい、また一から人間関係を作り直す必要が出てきました。そうした中で、いろいろなお付き合いができてくると、全部が全部に顔を出すことが不可能になっていったのです。

でも合わせないことに罪悪感を感じていたとしたら、それは「自分がどうしたいのか?」を私自身がわかっていないか、わかっていても自分の欲求に目をつぶってわからなくしているかのどちらかでしょう。あなたならどう感じるでしょうか?もしかつての私と同じような罪悪感を感じてらっしゃるのだとしたら、一度自分自身の欲求と向き合ってみることをおすすめしたいですね。実際放っておいて問題が解決することはありませんから、いいタイミングだと思って、一回真摯に自分の求めているものを見直すことは必要なことだと私は思いますよ。










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