怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(139) 自分の問題と向き合うための10の闘い(29) 働かざるもの食うべからず⑨
今回は勝ち負けの話をします。
よく言われている「働いたら負け」という理屈は、私からすると少し意味合いが違う気がしています。働いたら負けなのではなく、最近私は「働いたから負け」だと思うようにしています。
「働いたら負け」というのは、個人的に「何もしないうちから諦めている」感じがして、私の気持ちにはあまり響かないのです。では「働いたから負け」というのはどういうことでしょうか?
私は、働く=苦行にしてしまうと負けなのではないか、と考えています。そりゃ苦しいことばかりを続けていたら、敗北感を感じても無理からぬ話ではないでしょうか。
仮にあなたの苦しみの先に喜びがあるとしましょう。その喜びって、苦しめば確実に手に入るものなのでしょうか?苦しみは果たしてあなたの喜びの担保として確実に機能しているのでしょうか?
とりあえず、苦しみの先に喜びがあると信じなければ、現状を乗り越えられないとあなたがお考えならば、少し注意が必要ではかいかと私は思います。
先ほども言ったように、苦しみの先に喜びがあるという保証はどこにもありません。下手すれば厳しい現実が無限ループする地獄絵図すら繰り広げられる可能性だってあるわけです。
事実、私は苦しみの先にある喜びをひたすら信じながら働いてきました。しかし、その先にあったものは、達成感でも充実感でもない、ただの虚無でした。
苦しんで苦しんで自分をいじめ抜いた結果、心は何も感じなくなり、身体はいうことをきかなくなりました。それが現実です。
まあ、私のようなケースが現にあるわけですから、言い方は悪いかもしれませんが、あなたが仮に苦しみの先に成果を得た経験があったとしても、それがまぐれである可能性は否定できないわけです。
私は日本で働く人たちをみていると、ほとんどの方は労働=苦役になっていると思います。ですから、日本の社会に「負の空気」が蔓延しているのもある意味仕方ないことかもしれないですね。
正確には苦役として働いたら負けになるのではないでしょうか。本当は働いたから負けになるようでは、生きていく甲斐もないですからね。