怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(112) 自分の問題と向き合うための10の闘い(2) シェアに対する不快感 ②
コワーキングスペースをお借りして仕事させてもらっている身としては、シェアへの不快感を軽くすることは必要なことでした。なぜなら基本周りはシェアであふれているからです。そして私自身がシェアの恩恵を受けながら、片方でシェアへのネガティヴな感情を持ち続けているというのは、どうも収まりが悪いと感じてもいたからです。
人間関係というのは、ある程度話して親しくならないと、人となりはわからないものです。しかしながら話したからと言って急に距離が縮まるものでもありません。私が思うに、多くの場合、少しずつ回数を重ねて、その上で信頼関係が出来上がっていくのではないでしょうか。
この回数を重ねる過程を私はしばしばすっ飛ばし、結果人間不信にいたるケースが多々ありました。ですが、親しくなりそうになると、また気を許して大切なモノを貸して、失くされてしまう…というパターンを繰り返してきました。
ここまで書いてふと思ったのですが、私は果たして大切にしているはずのモノや人間関係を本当に大事にしているのでしょうか?本当は自分がおもっているほど、大事にはしていないのではないでしょうか?考えてみたら私はマニアではあってもコレクターではありません。こだわりという点では近いようで異なります。物持ちですが大事にはしてないなと思います。
具体的には、滅多に掃除しないし、片付けも整理も苦手です。スイッチが入ると徹底的にやりますが、日常では面倒くさがってやりません。やはり自分のモノを大事にはしていませんね。
もともと自分が自分自身を大事にしていなかったのですから、自分の持ち物をそれほど大切にしていなかったとしても決して不思議ではないわけです。そう考えていくと、実は自分と同じようにものを大事にしない人を呼び寄せているのではないかと、そんなことを思い立ったのです。
そのくせなくされたりすると、途端に執着が生まれ、それまで大事になんかしてなかったものに、さも以前から愛着があったかのように振る舞うわけです。こうして考えると執着と愛着というのは似て非なるものではないでしょうか。
そもそも愛着とは、親しみを感じて離れがたくなることですし、文字通り愛情が根底にあることです。対して執着は、愛情とは無関係に固執することであり、愛情ではなく欲情が強いものとされています。
言葉の意味を知るとといかに私が執着にまみれていたか、愛着と執着をごっちゃにしていたかが身に染みて理解できました。そうなると、自分の中で混同している愛着と執着の違いを明らかにしていくことも問題解決の糸口になっていくのかもしれないですね。