怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(107) くたばれ!心理カウンセラー2(7)
2017/03/06
今回はカウンセリングの技術は誰のためにあるのか?というお話です。私はズバリ「自分を守るため」と答えてます。そもそもカウンセリングの技術を習いだしたきっかけは、自分のメンタルケアのためでしたから、そこから今現在まで1ミリもブレていません。
よくいるのは「人のためにカウンセラーになった人」ですね。仮にあなたがそういう大志を抱き、本心から自分がやりたいと望んでいるなら問題はありません。ですが、「本当に自分がどうしたいのか?」わからないまま、カウンセラーを続けて行くのは非常に難しいでしょうね。
私がよく引き合いに出すのは2011年の東日本大震災のことです。実はカウンセリングの勉強をスタートさせたのはまさにこの時期で、当時は「被災地のために」とたくさんの人が今はなき我が母校の門を叩きました。しかしながら、あれから6年。彼ら彼女らが今何をしているのかさえ、私は知りません。
なぜ、こんなことになったのでしょうか?それは震災の起きた3月11日こそ、彼ら彼女らのモチベーションがマックスになっていたからです。モチベーションというのは常に一定ではありませんし、ましてや人間ですから、常時マックスということもありえないでしょう。
つまりカウンセラーとしての技術が身につけばつくほど、彼ら彼女らのモチベーションはだんだん落ちて行く一方になったわけです。卒業するころにはそれでもまだ被災地に向かう人もいましたが、それも長くは続きませんでした。
モチベーションが保てない要因を私なりに想像してみると、
①「人のために」という目的が、自分の本当にしたいことではなかった。
②自分と向き合わずに自分の本当にしたいことがわかってなかった
③自分が本当にしたいことがあるにも関わらず、自分の本心を押し殺していた
という感じになりました。
どれもカウンセラーがあるべき姿勢としてはアウトですね。
ちなみに、人間がモチベーションを保つには他人より自分自身のことの方がより効果的になりやすいのではないか?と私は考えています。
とはいえ、私が最初から自分大好き人間であったわけではありません。むしろその逆で自分という存在をこの世から消し去りたいと本気で願っていました。
それがカウンセリングをならうことで自分を最優先に守れる人間に変化したのですから、わからないもんです。今や私自身が生きた事例になることができたわけです。カウンセリングの効果も限界も全て自分の体で体験しているので、自分の言葉で伝えることができます。それは今の私には強力な武器にもなっています。
あと、人のためにカウンセリングの技術を使う気がないので、気負わずに自分の身についたもので、相談者の方とも向き合えてます。肩肘張らずに気負わずにできているのも私の強みですね。まさにカウンセリングは私のためにあるものなのです。