怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(82) 私が恋愛をキライな10の理由(2)
2017/01/25
恋愛に関してなぜ目を背けたいのか?私が期待していたのは、こんな年の瀬のクリスマスシーズンに道行く男女を見ながら、ぼっちの我が身を振り返り、怒り狂う自分が姿をみせることでした。しかしいざ恋愛をテーマに取り上げてからは、不思議なくらい怒りの感情は沸いてきませんでした。強いていうなら諦めかな?いや、違いますね…そう、「めんどくさい」!これならしっくりきます。
そもそも私には恋愛をするということが成功体験として認識できていません。というか成功体験0ですからね。0になんぼ数字かけても0なんです。そのうえ、今では好かれるより嫌われることに熱心になっています。いかにして嫌われるかというモードの時は、好かれることにあまり関心は向かないですね。だから、まあ、めんどくさいのかもしれません。
そう考えていくと、今までなぜ異性と付き合えている他人をうらやましいと思い込んでいたのでしょうか?どうもその原因が自分でもよくわからないんですよね。しいていうなら「人間なんだから付き合うべきだ」とか「いい大人になったら、付き合わなければならない」とかいう同調圧力に負けていたのでしょうね。あえて自分の中で義務感の少ない理由を考えてみると「私が未体験の恋愛というものを自分で体験できたら、もしかすると面白いことがあるのかもしれない」という興味はあったと思います。でも私にはよほど孤独でいたい肯定的理由があるせいか?それとも孤独でいることが全然苦ではないせいか、現時点でも恋愛とは無縁の人生を送っています。
では、この状況を変えたいかというと、そこまで能動的に変える理由もないんですよね。今まではここを「変えねばならない」と思い込んで自分を苦しくしていたのです。ということを考えると、自分にとって恋愛というのはそれほど価値のないものなのかもしれません。人には絶対的価値があって、そういう方が大多数なのは重々承知してます。あくまでも「私は」という話でしかありませんし、ごく小数派の価値観でしかありません。
私は正直、恋愛映画とかラブソングとかいわれるものに感動したことがないんですよ。特に恋愛に関しては全くよさがわからないので、なんとかよいところをみつけようという作業をするはめになるので、かえって疲れるし、時間の無駄なんですよね。昔は恋愛のネガティヴなところも必死になってみつけようとしていたのですが、よく考えるとこれもかなり無駄な作業だということに最近になってやっと気が付くようになってきました。
といっても冒頭で言ったように「諦めた」というのともまた違うんですよね。強いていうなら恋愛にネガティヴな意味もポジティヴな意味も見出すことがかなり面倒臭いということで、今の私には恋愛が「めんどくさい」ということになっているのでしょうね。