怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーショガイド研究所所長の体験談ブログ(66) 私が「今すぐ」をキライな10の理由(6)
私が苦手にしている親類縁者は母方の方に多いですね。もっとも親類縁者は父方も母方も結構エリートが多く、完璧に物事をこなそうという意識が高い人間が多かったですね。普通、田舎に行くとリラックスできるものですが、私が子どもの時分はとてもじゃないけど、リラックスなんてできる状態ではなかったですね。むしろ母の方がリラックスして、子どもを放置して末っ子に戻ってしまう場面を何度もみてきたので、母の方が歓迎されて、私はそのついでという扱いも多かったですね。ですから、唯一の味方だった母方の祖母が死んでから37年、母の里である松江には寄り付こうともしなかったですからね。
「今すぐ」というのはこちらのタイミングというのをあまり考えてはくれません。どっちかというと人の都合で動かされるイメージが私にはあります。やはり過程より結果、成功より失敗にフォーカスしている両親から受け取った負の遺産は、未だに自分の中に影響を与え続けています。たぶん早期に結果を求められるのをこれほど嫌がるのは、自分なりのタイミングで物事をやらせてもらえなかった経験があるからでしょうね。
急がされるということでいうと、年齢的にそう多くの時間が残っていないことも自分を駆り立てる要因の一つにはなっていると思います。時間だけは無限というわけではないですからね。できるようになるのを待っているだけでは先には進めないというのを、自分でも理解しているからこそ動くわけです。でも失敗した体験が少ない分、失敗に対して極度の恐怖を感じていたのは事実でした。
完璧に物事をこなさないといけないという固定観念は、ずいぶん私を苦しめてきました。それでなくても母方の親戚は「自分が良かれと思ってしていることは他人もいいと思うはずだ」という妙な確信をもって、私に余計なお世話しかしてこないので、本当に嫌でした。ですから、このタイプの人間が日常に現れると、本当に自分で自分を不愉快にしていました。幸い今は両親以外にそうしたタイプが寄ってこなくなったのは不幸中の幸いでした。
「今すぐ、完璧に」というのは全てにおいてできることではありません。ですからできなくてもいいんだ、と自分で思えるようになって初めてこの問題とは向き合えたような気がします。