怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(35) 私が博愛主義をキライな10の理由(5)
2016/10/28
私はカウンセリングを受け続けてきて、小さな幸せをある程度感じられるようになった時に、「これが幸せなのだろうか?」と、その価値を疑ってしまうことが何度もありました。本当は自分の幸せは信じたほうがいいのに、です。
仮に問題解決の途中にあなたがいるとして、その時点で他の幸せが見つかっていないのなら、なおさらあなたは今の幸せを手放す必要はないはずなのです。安心という幸せを得られるためには自分の幸せを疑う必要などないはずだからです。自分が選んだものであるならば、あなたの選択を信じたほうがいいはずなのです。自分の幸せを信じて、充分に感じられたほうがいいことは私もわかっています。たくさん見つけた幸せの中からこれだ!と思える幸せを選択していけたら、これからのあなたが幸せになる努力そのものを信じることができるかもしれません。それは自分の将来の幸せを信じられる事に繋がるはずなのです。
しかし私はこの将来に関しては不安と楽観の両方が混在した感情をもっています。
信頼関係を築く為には自分自身についても誤った評価しないことが重要です。間違って、高く評価すれば、相手を見下す事になります。誤って低く評価すれば、相手に依存する事になりかねません。この自分自身に対する評価というものが自分で上手くできていないのです。
幸せの感じ方は、人それぞれです。自分の幸せの基準は自分が幸福かどうかで決めればいいのです。今までの私は清貧こそが幸せであると信じて生きていました。でも最近私は自分が小さな幸せを感じた時に、「これが本当に幸せなのだろうか?」と考えてしまいます。自分の幸せを疑うことは、幸福感を値引きしてしまう考え方です。それはわかっています。疑うことで、不安などのイヤな感じにも引っ張られます。
重要な事は、自然体の自分でいることです。自然体の自分でいる為に最も重要なことが、自分に嘘をつかないことです。
自分のできることに嘘をつかない。自分のできないことに嘘をつかない。それを相手に伝える時に、嘘をつかない。嘘をついた結果、うまくいくこともあるでしょう。しかし、その嘘を自分は知っています。自分に嘘を付いていると言う現状を抱えることは、相手も嘘を付いているのではないかという疑心に繋がります。
人を信じて行動を共にするには、相手を待つ時間も必要になります。その間相手の行動が見えない状態では、小さな疑心は大きくなります。行き過ぎれば「もう、人を信じられない」と叫ぶ事になります。それが私の現在ですね。
人は良くも悪くも、自分の中にある感情を相手も持っているものです。相手を信じる為には、自分を信じると言う感情を自分が持っている必要があります。だけど、自分自身を値引きした状態ではそもそも相手も自分も信じられていないのです。
自分に嘘をつくことは、信頼の感情を持つためのスタート地点をマイナスに設定することです。マイナスからのスタートでは、人があなたの為に動いてくれたとしても、人を信じられない状態のままでしょう。だから私は自分にウソをつくのをやめました。人が喜ぶ前にまず自分が喜んでみる。人のためにウソをついてまで尽くすのをやめる。なかなか簡単にはいかないことです。
しかし、これができるようになれば、少しずつ何かが変わる気が私にはしています。考えてみれば幾度となく私は自分にウソばかりついてきました。人からよく思われたい一心でついたウソが取り返しのつかない事態を招いたことも幾度となくあります。
自分が思う似非博愛主義の八方美人とは、自分の利益のために自分にウソばかりついてくる人間です。その行動は結果的に私には利益などもたらさず、ウソをついたが故の息苦しさばかりを残していきました。しかし、それでも人からよく思われたくて私はウソをつき続けてました。これで一方では自分を誠実な人間だと過大評価していたのですから、お笑いぐさです。
似非博愛主義の八方美人は嘘つきです。しかも他人より大事な自分にウソをつきます。だから私は食えない現状をさも食えているように見せかけるウソをやめたのです。