怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(29) くたばれ!心理カウンセラー(9)
2018/05/22
無職を名乗って気づいた事
このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。
さて、この「くたばれ!」シリーズは「キライ」シリーズよりも私の中で怒りのランクがひとつ上の対象に向かって毒付く、いや毒突くために書くものです。ですにで「嫌い」シリーズよりももっと嫌いな、自分自身の根源的な問題を取り扱います。
私がカウンセラーではなく、無職と人前ではっきりいうことによって、自分にも色々と気づきがうまれてきました。具体的にいうと
①他人の問題解決のために自分の時間を使いたくない
②カウンセラーという肩書きを、無職を隠すための言い訳にしたくない
の二つの気持ちがあったのです。
①の他人の問題解決のために時間を使いたくない、というのは、自分が本当にしたいことは何なのか?突き詰めていくと、他にたくさんあったからです。確かにお金はないと困ります。しかし、特にやりたくもないことを仕事にして20年お金を稼いできたら、さすがにそれはもういいかな?と思うようになりました。
もしカウンセラーの看板掲げていて需要があった場合、おそらく今までの経験上、私ならば自分のやりたいことを棚上げしてまで、他人の問題解決の力になろうとしたことでしょう。しかしそれでは真に困っている人の問題解決にはならないし、自分のためにもなりません。ですから、本当に自分のしたいことを、自分のためにする時間を大切にしたいと考えたのです。
無職を隠す言い訳にしない
②のカウンセラーではいう肩書きを無職を隠す言い訳にしたくないというのは、これはもうズバリ今までは「カウンセラーという肩書きを無職を隠す言い訳にしていた」ということにほかなりません。確かに人前に出て「お仕事は?」と聞かれるのは本当に苦痛でした。極めつけは二年寝たきりになる直前に、人生で唯一参加した同窓会で、無職になったことをかつての同級生たちに憐れまれたことがすごく嫌で、それ以降はひたすら「何物でもない自分には価値がない」という思い込みで自分をひたすら責めてきました。
ですので、実は過去自分が職業として名乗っていたものは全て、無職の自分を認められない自分の言い訳として名乗っていたにすぎなかったのです。もちろん今では資格的にも能力的にもプロを名乗るだけの力はあるとは自負してますが、そもそも自分自身を認められてない私が、人様に何か貢献しようと思ってもそれはどだい無理がある話で、ある意味食えなくて当たり前だったともいえます。
とはいえ、チャレンジ自体をあきらめたわけではなく、自分がよりよい方向に行けるにはどうしたらいいかを今後とも模索し続けることにはかわりありません。最近知り合った心理の勉強をしている方にお会いした時も聞かれたのですが、そもそも「なぜ心理カウンセラーの勉強を始めようと思ったのか?」という部分がぶれていては、自分の問題解決だってできはしません。
今の自分をさらけ出す
ところが意外と聞かれるようになるまでは自分でも気が付かないくらいにぶれていたので、不愉快さだけがずっと付きまとっていたのですね。この状態で数か月前までは人に伝えるための講座とか考えていたんですから、今思うとわらっちゃいますけど、袋小路に入ると人間って本当にいろんなものが見えなくなるなあ、と痛感しています。
だいたい職があって、そこそこお金もあって、時間だけない時代にだって、人から好かれたりとかされた覚えもないし、極端に嫌われたこともなかったのですから、今と状況はそれほど変わっていないのです。だったら、そんな空気のような存在になるくらいだったら、嫌われてもいいから、オタクで無職で精神的引きこもりで病人な今の自分を、さらけ出してしまえばいいじゃないかと思ったのです。
それが嫌で離れていく人間なんか放っておけばよかったのです。そんな人にまでよく思われようとしていた自分自身の八方美人っぷりにもいい加減うんざりしてきました。
実際メンドクサイ人が離れていったことで恐ろしいくらい私の人間関係が快適になりましたからね。今は自分の中にある問題以外は、ほとんど問題にさえならなくなりました。そこで気づいたのです。私はコミュニケーションというのはとらなきゃとらなくても何ら自分は困っていなかったんだって。
コミュニケーション能力がなくったって人間はどうにか生きていけるもんです。20年の接客業で得たスキルはしゃべればそこそこ会話が成立するレベルの力を私に与えてくれましたけど、もともとはコミュニケーションなんて面倒くさくて、家から出たくなくて幼稚園すら入学拒否していたのが私なんです。そんな私が無理に自分を飾ることがいかに己の負荷になることか。いろいろ突き詰めていくと不具合しか生み出さないコミュニケーション能力ならいっそなくしてしまってもいいのはないかとさえ最近は思うようになりましたね。
そう考えると人に合わせて生きていくことのなんと愚かしいことか。なんと自分のためにならないことか。つくづく自分はバカなことをして生きてきたなあと思います。でも気が付けたのでこれからはそうはいきません。残された時間でよりよい人生をおくるためには、本当に自分がしたいことは何なのかを徹底的に突き詰めていこうと思います。それで結果がどうなってもそれほど悔いは残らないでしょう。