cocoro.harada.log

それでも生き永らえた!生命力イラストを描いているcocoroharadaの由無し事ブログ

*

怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(26) くたばれ!心理カウンセラー(6)

2018/05/11

資格取りも本当は渋々

このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。

さて、この「くたばれ!」シリーズは「キライ」シリーズよりも私の中で怒りのランクがひとつ上の対象に向かって毒付く、いや毒突くために書くものです。ですにで「嫌い」シリーズよりももっと嫌いな、自分自身の根源的な問題を取り扱います。

かつて私は2年間寝たきりになった時代があったのですが、その前は実をいうと、履歴書に書ける資格はほぼ皆無に等しかったのです。それが結局自分の自信のなさにもつながり、「ここをクビになったら生きていけない」とひたすら我慢に我慢わ重ねた結果、会社はクビになり、健康も害して床に伏せることになりました。

しかも資格取ろうにも在職中は何をどう勉強してよいやらという有様だし、そもそも朝5時から夜11時のシフト間に勉強時間を確保することすら困難でした。今考えると言い訳も甚だしいのですが、やはりやる気にはなれなかったのですね。

外へ出て資格取り始めたのも本当に渋々でした。最初がサーティファイのIllustratorとPhotoshop、そしてWEBクリエーター資格にいどみ、とりあえずIllustratorとWEBクリエーターには合格しました。しかしある時、プロのWEBデザイナーの方から「資格だけあっても意味ないよ」と言われて、資格試験の挑戦自体は一旦中断してしまいました。

WEBの勉強だけはつづけてましたが、もうひとつ理由があって、心理カウンセラーの学校に入って「WEBと心理の二足の草鞋を履くのは無理だ」と悟ったからでもありました。それ以降はひたすら自分の問題解決をしつつゆくゆくは心理で飯が食えたらという超甘い考えで勉強を続けていきました。

 自律とは程遠い

正直40超えて学生に戻ったというのは社会人としてあらゆる枷を自分に課してきた私にとっては、結構「解き放たれた」感覚があったのですね。ですから学び自体はとても楽しかったのです。実際自分が変化していく過程を体感できたのは大きかったですし、病みつきになったのもある意味仕方ないかなと思いました。

で、散々学びの中で「自律」という言葉がでてきました。これは経済的に自立するだけでなく、精神的にも独立した一人の人間として生きられるようになっている状態で、これをカウンセリングを学ぶ人間は目指さないといけないと教えられてきました。

確かに精神的には何か解き放たれた感じはあって、かつての私より今はずっと楽な生き方ができている自信があります。しかし経済的なことに関していえば、私は全く自律とは程遠いところにいて、ここは入学以前から全く変わっていませんでした。苦し紛れに名乗り始めたイラストレーターという看板も、必死で勉強して取得したWEBの各資格も、ほぼ稼ぐということに関しては役にはたちませんでした。

結局心理の資格も今のところ空白にするしかなかった履歴書が真っ黒になるくらいに埋められるという穴埋めにしかなっていませんでした。要は資格がどうとかいうより自分の在り方がどうなのかという部分で、致命的な問題を私が抱えていることは間違いなさそうなのですが、それがどこにあるのか自分でもさっぱりわからないまま時間だけがいたずらに過ぎていくという毎日を今も繰り返しています。

 自己アピールの不足?

PDCAサイクル(事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つで、Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善すること)で言えばどこが問題であってどこを改善すれば問題解決に至るのかがさっぱり見えないし、どうも問題は一つではなさそうな気もしてます。

先日も「もっと自己アピールをしたら?」とある方にいわれました。もしPDCAでいえば「自己アピールの不足」というのは私が改善すべき問題の一つであることは間違いないと思います。しかし自分のしたいことが必ずしも人に求められていることではありません。

人の求めに寄せすぎるのは私自身がいずれ行き詰まることを意味しています。そこは20年の社会人経験で痛いくらい体験してきたことです。しかし求めのない活動をくり返していても、稼ぐことには繋がっていきません。大概の人はそこを折り合いをつけて仕事をしているでしょうし、何より私自身がそうやって生きてきましたから、自分でもよく理解しているところです。

残念ながら私のやりたいことが求められていないというのは、単に私が思い込んでいることだけではないのです。もし両者が一致しているのであればイラストでも心理でも自分は飯が食えていたはずなのです。でも現実はそうなっていない。これは残念ながら事実です。いくら個性があってもいくら知識や能力があってもそこに需要を生み出さない限りは私は生きていけません。

 需要にすり寄る必要はない

ファンを増やせ、ファンを作れということは様々なビジネスの講座で習ってきました。それは正解なんですが、私の場合これまで何をやっても何をしてもファンもアンチも増えなかったのです。つまり存在自体が透明になっているということですね。

これではどうしようもありません。しかしどの道、好かれもしていなければ嫌われてもいないんだったら、嫌われることを恐れる必要も、好かれるために需要にすり寄る必要も私にはなかったのです。

そう考えたら気が楽になりました。だから遠慮なく誰彼にも毒突いていられる今の自分はとても自由な感じがしています。これだったらよしんば結果的に食えないにしても悔いは残らないかなと思います。だからやるだけやった最後の開き直りのつもりで私はこれを書いています。

幸い、今は「無職」と言い張っても生活できているので、全く困っていません。今考えると、起業はおろか、ファンさえ作る時期でさえなかったということでしょう。そう考えていくとすべてが腑に落ちるのです。

理想はたまに働いて、ほとんどの時間を遊ぶという生活ですが、ほぼほぼそれが実現しているというのは我ながら驚いていますね。つい数年前まであった焦りも今はほとんどありません。問題解決しようとして焦ってばかりいた数年前がウソのような気さえします。

決して負けおしみでも、強がりでもなく、本当に今は自分が楽になっているので、今の自分が進んでいっている方向は間違っていないと確信できているのです。

にほんブログ村 病気ブログ 病気 闘病記(現在進行形)へ

au公式/ビデオパス

-くたばれ!○○, くたばれ!心理カウンセラー, 怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ