怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(14)私がジャニーズをキライな10の理由その4
2018/04/02
自己肯定感を高めた末に
このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。
さて、外見にコンプレックスを持っていた方が、努力に努力を重ねて、内面も外面も磨きに磨いて周りがびっくりするくらい垢抜けてモテるようになったという話をよくききますよね。しかし内面に深いコンプレックスがある人間の場合、そもそも自分の存在自体いてはいけない、自分の存在は許されないと思い込んでいるので、外見だけいじってどうにかなるとは到底思えないわけです。
ひたすら自分と向き合い、自己肯定感を高めた末にやっと外見を磨く段階にはいるわけですから、労力も倍かかるのです。そこへさらに努力せよと追い打ちをかけるのはあまりに気の毒です。コンプレックスを克服した人がいる反面、垢ぬけないがためにさらなる努力を自分に課して、心が折れる人だっていることもまた事実なんです。
正直外見だけで言えば今の若い人たちは十分頑張っていると私は思っています。内面に関していえばこれはもう自分との戦いになっていくのですけど。
企画自体が無謀
さて、2回、3回とSMAPの話題になってしまいましたが、今回のテーマはジャニーズですので、いちグループを攻撃する目的は私にはありません。しかし一例をあげるとしたらやはりわかりやすいところから、事例を引っ張ってくる必要があります。
そこで、今回は「あしたのジョー」です。この作品もヤマト同様劇場で鑑賞していますし、パンフレットの記事も参考にできますので、取り上げてみようと思います。
この映画の主演は山下智久さんです。正直第一印象では「え?」となるキャスティングですけど、まあアニメのジョーの声優をしたのが、もとジャニーズ(グループの方)に所属していたあおい輝彦さんだったので、まあアイドルだから、ジャニーズだからという先入観は捨てようとは思っていました。そうでないと劇場に行こうとすら思えませんからね。
あしたのジョーはそもそもこの作品以前に石橋正次さん主演で一度実写化もされているので、実質実写であってもリメイクということになります。
ストーリー自体はアニメで言うところの「あしたのジョー2」の冒頭までという形で、ジョーが真っ白に燃え尽きるところまでは描いていません。だいたい公開された2011年ではドヤ街という概念さえ説明がつかなかったですし、力石の死後、ジョーがどさまわりのボクサーに身をやつすシーンは、アニメのジョー2ではばっさり省略されています。
つまりアニメ「あしたのジョー2」が放送されていた1980年代の時点ですらもう説明がつかない世相の変化というものがあって、かなりの改変がされていたくらいですから、それを21世紀にリメイクしようという企画自体が無謀でした。
本当に取り組んでいた減量
その中でも、ジョーのライバル・力石徹の減量というのは、物語で力石の死につながった大変危険なものでした。しかしここを描かないとあしたのジョーにはならない重要なポイントでもあります。ですからこのCG全盛の折に、画面を加工しまくって減量シーンを作り出したんだろうなとみているときは思っていました。
ところが、鑑賞後パンフをみてびっくり。力石役の伊勢谷友介さんはなんとこの力石式減量を本当に取り組んでいたのです。しかも山下さんも役作りのため、プロボクサー並みのトレーニングを行い、約10キロの減量と体脂肪率を10%近く落とすなど、過酷なスケジュールの基で撮影に臨んでいたことを知りました。
丹下段平役の香川照之さんは、役が決まった時に「私生活でボクシングを30年間見守り続けてきたのは、この役のため」と語ったほどのボクシングファン。山下さんにはボクシングの初歩から手ほどきし、この減量シーンも監修していました。つまり実際にリアル丹下段平が撮影現場にいたことになるわけです。
ヤマトとの決定的な違いはまさに役者が役に寄り添って、役になりきるために役柄と同じように命と体を張った点にあり、そこから生まれた格闘シーンは、長くプロレスやボクシングなどを見続けてきた私でもうなるほどの出来栄えになっていたことでした。
ただ、ネックになったのは山下さんの優しい性格で、アクションとしてはできても、本気では人を殴れないと葛藤したそうです。しかしそこを伊勢谷さんが「俺を殺すつもりで来い!」と激を飛ばした結果、迫力のある試合シーンが完成したのです。
そこに一瞬映った山下さんの目はあきらかに「イっちゃってる」目でしたし、その狂気を引き出したことで、単なるコスプレ映画の枠を超えた映画になったのだと私は思っています。
届かなかった「矢吹丈」
正直、ジャニーズ側からすると、映画のあとだって仕事はあるわけですから、無謀な減量やトレーニングでリアルを追及されるよりCG使って安易な方向に走って行ってもよかったでしょう。しかしあえてそれをしなかったことで、この映画は生きたわけです。
しかし、それでも・・・そこまでやっても山下「ジョー」は「矢吹丈」には届かなかったなあというのが正直なところです。
作品全体から伊勢谷さんと香川さんのド本気があまりにすごすぎて、かえって浮いてしまったというのは失点だったかもしれません。またアイドルだから、ジャニーズだからということで評価はしたくないのですが、映画終了後の活動を考えてどこかにブレーキがかかっていたとしたのであれば、それは大変残念といわざるをえません。
もちろん山下さんが役者専業だったとしても、これ以上追い打ちをかけるように過剰な努力を求めるのは私としても本意ではないのです。でもこれがアイドル兼業でなかったら、この役に一生をかける意気込みが許されていたならば、もっと評価は変わったでしょうね。
なによりジョーの性格の改変は個人的にもっとも残念でした。原作では口を開けば暴言や女性軽視な発言が多かったのですが、それこそが野生児という名のゆえんのようなもので、これを極力暴言を抑えめにし、女性軽視発言もしないなど、口数を少なめにした点は致命的ですらあったと思います。
これは時代性の変化を意識したのでしょうけど、物語では高度成長期の時代を描いていたので、言葉使いなども当時のままにしてほしかったのです。
勘ぐれば、ジャニーズを離脱したあとのあおいさんだから乱暴な物言いが許されたけれど、ジャニーズに所属したままだとタレントイメージを損なうセリフはNGなのかなとも思ってしまいます。
なにより粗暴なジョーの言動は下手をすればジャニーズファンからも総スカンをくらいかねないものでもあります。
厳しく、実写に向かない題材
山下さんがジョー役にかける意気込みを疑うわけではありませんが、このような改変がそこかしこにみられた点で、2011年版の実写ジョーは、本気度が高いにも関わらず「非常に惜しい」作品になってしまったともいえるのではないかと私は思っています。
そもそもあしたのジョーと真正面から本気で向き合えば、「真っ白に燃え尽きる」ラストが待っているわけですから、これほど役者に対して厳しく、実写に向かない題材はないわけです。
くどいようですが、山下さんは役者としては非常に頑張っていたと思います。それは今でも私の中で変わらない評価でもあります。
そう考えると企画自体をジャニーズタレントありきで立案した制作サイドに罪があるといわざるをえません。
結局「ジャニーズのタレントの上半身裸が映っていれば、お客が入る」という安易な企画側の発想のおかげで、実写「あしたのジョー」はまたしても賛否が分かれることになってしまいました。
もしこれがオリジナル企画のボクシング映画だったらまた評価も変わったかもしれませんね。