怒り、苦しみ、破壊し、創造する!世界プロレス式コミュニケーションガイド研究所所長の体験談ブログ(4)私がワンピースをキライな10の理由その4
2018/03/12
意図的な実験
このブログは基本自分が毒吐きたくて書いてます。毒は自分の中にためておくと、だんだん大きくなっていってある日、暴発します。今回も私の「毒吐き」にしばらくお付き合いいただこうかとも思います。
キライという感覚を外に出そうと思い至ったキッカケは2016年にふられたことにあります。ふられること自体は日常茶飯事ですし、失敗率100%の私からすると、想定の範囲内の出来事でしかありません。
しかし、今回意図的に実験をしてみたのです。それは相手に対してただ「好きだ」という気持ち「だけ」を伝えるということでした。当然私の気持ちとしては「好きだから付き合ってほしい」という気持ちはもちろんあるわけです。しかし、好きになるのは私の問題であり、私に選択権がありますが、それを受けて付き合うかどうかは相手に選択権があります。私が決められる問題ではありません。相手の意思を変えることもできませんしね。
そもそもなぜ「好きだ」という気持ちが伝えられなくなったのかというと、かれこれ20年くらい前に、自分の思いの丈を伝えようとした相手に「それは言わないで」といわれてしまったことにありました。後でわかったことですが、彼女は「私とはよいお友達でいたい。だけどお付き合いはしたくないから、あなたの気持ちを聞いたら、私はふらなくてはいけない。それはしたくないので、言わないで」という意味で、私に言わないで、と言っていたのですね。
しかし、自分の問題を自分で決めたくないから、他人の意思を変えようとした彼女の行為はやはり許せるものではありません。許すかどうかは私の問題です。しかしこれに気付かないばかりに私は告白したい、でもできない、というモヤモヤを抱えたまま、20年も生きてきてしまいました。ですから、今回自爆覚悟で気持ちだけ伝えたのはひとえに自分がこのモヤモヤを手放してスッキリしたかったからなんです。
怖いを乗り越えないと、先はない
結果は予想通り撃沈され、失敗率100%は変わらないままでしたが、気持ちはめちゃくちゃスッキリしたんですね。ならば好きだけでなく、キライも外に出せばスッキリするのではないかと考えたわけです。キライということこそ、好き以上にいいにくいことはありません。ましてや私は基本八方美人になりたがる人間なんで、嫌われることはとにかく怖いわけです。しかしその怖いを乗り越えないと、先はないと腹をくくりました。
ちなみに余談ですが、私をふった人間に対しては物理的距離をおくことで対処しています。これが一番ですね。私の気持ちも刻一刻と変化してますけど、やはりそう簡単に方向転換はできないんで、しばらくは苦しむとは思います。。しかし、いつまでも過去にとらわれている時間は私には残されていないのです。それこそ好きが転じて恨んだりというのも時間の無駄なんで、そこもあえて囚われないようにしています。まあ、相手が「(私に)恨まれている」んだと思っていたとしても、それは相手の問題なんで、私は関知しないだけの話です。たぶん時間と距離を置けばどうでもいいことになっていくでしょう。
しかしワンピースはそう簡単にことが運ばないのです。思い切ってワンピースに照準を絞り「キライだ!」と言ってみたのは我ながらよかったと思っています。はっきり言って理由は後付けでどうにでもなるし、ごちゃごちゃ書いてることも本当にどうでもいい話で、単純に吐き出すことこそが最大の目標でした。そうすればすっきりできると思ったんですね。
だから表題にあるように10も理由なんかないと思っていました。しかしいざ出してみたらこれが出るわ、出るわで、単にキライだ!だけでは済まなくなってしまいました。
どうしても受け入れられない
このブログは冒頭に書いた通り、私が毒吐いてスッキリするためのものです。それをどう読んでどう解釈するかまでは責任をとれませんし、知ったことではないのです。私は単に自分の中にある感情と向き合ってそれを外に出す作業をしたかっただけですね。
ここまで書いたものに対していろいろな反応をいただきました。今までだとそれに一喜一憂していたのですが、今回は意外と冷静というか、褒められたら素直には受け取ってますけど、それでテンションマックスになったり、激しく落ち込んだりという波が少なかったんですね。割と淡々と受け止められたというのが正直なところです。私が出した刺激に対しての反応というのはもはや私個人の問題ではないですからね。いろんな考え方があるものだなあと勉強にもなりました。
で、そろそろワンピースの話をしましょう。ほかのジャンプ作品では受け入れられるけど、ワンピースだけはどうしても受け入れられないものに「絵」があります。プロ作家の絵ですから、個人的に合う合わないはあって当然なんですけど、ここまで生理的にダメだと自分の中で激しく拒絶反応をしめしたのはじめてでした。
読者の方から言われるのは「確かに最初は稚拙だったけど、だんだんうまくなっているから」とか言われたり、「巻数進んだら面白くなるから」とかいわれるんですが、そういう問題ではなく、誰がどの時点で描いてもあの絵はダメなんです。どんな有名アニメーターが手掛けても、原作者がいかに進化し、絵柄が100%変わったとしても(それはそれで問題ありそうですが)、それでもダメなんです。しかしながらこれだけ絶対的支持を得てしまうと、いろんなCMやタイアップなどで、街中では否が応でもあの絵が目に飛び込んでくるのです。もはやそれだけで暴力に等しいものを私は感じます。本当にあの絵だけはダメなんです。生理的に無理、という言葉の意味を、ワンピースの登場で身をもって知らしめられた私には、この流行自体が我慢できないのです。せめて目につかない遠くにやってもらえないだろうかというのが切なる願いでもあります。
嫌いを抱え込まない
正直ストーリーとか設定とか海賊王とか枝葉末葉は本当にどうでもいいのです。興味ないですから。あの絵こそが私のワンピースに対する嫌悪感の根本をなすものなのです。そこへいくと萌え絵というのは「性の消費を促す悪しき絵」というお題目の元、比較的攻撃されやすい気がします。ですが、萌え絵を嫌う人の根本的理由っておそらく「性の消費」とかでなくて単純にあの絵柄が気に食わないというだけのことかもしれません。そこにもったい付けて変な理屈をつけて規制に走るからおかしな争うになるんであって、嫌いなら嫌いだけでいいじゃないかと私は思うのです。
ちなみに私自身は萌え絵のファンです。自分で描く挑戦もしてみましたが、さすがにこれは感性の違いもあって無理でした。しかしあの絵柄を性的消費だなとと思ったことは一度もありません。今はまあ昔と違っていわゆる性風俗店の看板にも萌え絵が使われていたりしますんで、さすがにそれはどうかとは思うのですが、それ以外は全然OKです。もっとも萌えでは若干物足らないのでしいて言うなら「燃え」の方が好みではあります。
本音をいえば私はワンピースの絵柄を法的規制したいくらい受け付けがたいのは事実ですけど、一方で表現の自由というものの大切さも嫌というほどわかっているので、これを権力で取り締まろうとは思いません。
であるならばなるべくワンピースとタイアップしている企業のお店にはいかないとか、広告にワンピースを使っている商品を見ないようにするとかしか自衛策はないのです。こうなるとワンピースがある種国民的マンガにまでなってしまったことが恨めしくて仕方ありません。サザエさんでもドラえもんでも全然感じない不快感を、街中でいや応なしに浴びる苦痛。その苦痛を個人で避けられるレベルを超えて襲い掛かってくるのですから、せめて「ワンピースの絵が大嫌い」という自己主張くらいしておかないと、自衛で対処するにはあまりに敵は巨大すぎるのです。
だからせめて自分でできることといったら、自分の身を守ることしかできません。であるならば私にできる最低限の自衛は「嫌いを抱え込まない」ことしかなかったんです。