追憶のscreen 白黒テレビに追いやられた日
カラーテレビが来たのは小学二年生の時だったが、それは同時に大人はカラーテレビで、子どもは自動的に白黒テレビで番組を見るという「すみわけ」がなされた瞬間だった。
しかも、テレビの視聴時間は「目が悪くなる」「子どもは勉強するものだ」という教育方針のもと、視聴計画表というものを書いて父に提出しないといけなかった。これがいやでいやで、のちのち計画やスケジュールを決めることに極端な抵抗感を抱く羽目になってしまった。
制限されなくても結果的に目は悪くなったし、制限されても勉強はしなかったので、この規制は意味をなさなかったのだが、当時は親もそれが最良の選択だと信じて疑っていなかった。
また、私もそれに抵抗することなくすんなり受け入れてしまったので、のちに「自分の欲しいものがわからなくなる」という大変困った事態になろうとは想像だにしていなかった。
さて、大人と子どもというくくりだとまだ納得したのだが、ひとつどうしても腑に落ちないことがおこってしまった。それは日曜夜七時半のことだった。ここにアルプスの少女ハイジと、宇宙戦艦ヤマト、そして特撮の猿の軍団という見たい番組が3つ重なってしまったのだ。
もちろん家庭用ビデオもなければ、オンデマンドなんてものもない。レンタルビデオだってないこの時代にあまりに酷な仕打ちだった。しかも親はハイジをカラーで見せ、ほかは白黒で見ろと言う。
今でならどの番組を選択しても後悔は残ったろうこともわかるし、結局ハイジもヤマトも再放送で死ぬほどみたので、別になんら問題なく、むしろ再放送されにくい「猿の軍団」をリアルタイムで見ていたことの方に価値があるということは理解できるのだが、当時は小学三年生。そのような道理がわかろうはずもなかった。
結局ハイジを見ている妹が特別扱いされたと思い込んだ私は、妹憎しの感情がつのり、ことあるたびごとに兄弟喧嘩に発展した。そこで決まって怒られたのは兄である私だけだった。