[追憶のscreen](2) 福岡放送との出会いと別れ、そして再会
カラーテレビがうちにきて、自分の家でUHFが見られる様になった。
それはちょっとした事件だった。当時UHFの福岡放送では子供心ながらに
魅力的な番組が多かった。これらが見られる事だけでもうれしかった。
とはいってもカラーテレビは基本大人のもので、子供は調子の悪い白黒テレビで基本的には引き続き見なければならなかったが、福岡放送だけは特別。
しかもカラーで見せてもらえた。これがどれだけうれしかったか!
昭和47年10月3日火曜日。
初めてやってきたカラーテレビで見たのは今でもはっきり覚えている。手塚治虫原作「サンダーマスク」第一話。
ああ、カラーってこんなに凄いんだ....
当時第二次怪獣ブームに沸く中、各社競って派手な光線、ばしばし使う光学合成華やかなりし頃。その画面の美しさがどれだけ感動的だったか。
これだけは忘れようもない。
それだけに思い入れは深かったのである。
最も当の手塚先生にとって見れば不遇の時代のまっただ中。原作はまるで内容の異なる(ついでに主人公まで違う)作品に仕上げてしまったあたりに、受け手の思いが入り込めない、送り手側の怨念めいたものを感じたときには、めまいがしそうになったものだった。
それでも私にとっては「サンダーマスク」は決してカルト的特撮番組などではない。
緑鮮やかなヒーローの勇姿は再放送を経なくても未だに鮮やかな記憶として頭に焼き付いているのである。
ところが後に引っ越しした先ではこの福岡放送が入らなかった。
これはショックだった。
代わりにクリアに入ってきたのが大分の放送だった。予想外の出来事に最初は信じられなかった。
周波数が近似していて、しかも関門橋が障害になっている環境では福岡放送の電波はかろうじて
画面が判別できる程度でしか入らなかった。
実は山口、大分、福岡共に日テレ系列の局がある。なのにネットの関係で福岡でしかやっていない番組が多かったことは悲劇だった!
数だけ入っても見られない番組が多いなんて....
役に立たない環境。まるで地の果てに来た感じがしたものだった。
見たこともないデパートのCM。手書き丸出しの、山口県のものとはまたひと味違ったローカルのしょぼさは今でも忘れられない。
加えて放送されていたのが福岡局でもやらなくなったような番組ばかり。確かに「勇者ライディーン」やら、「野球狂の詩」やらが見られたのは今思うと貴重ではあったとは思う。
ただ大分が映って得をした事もあった。かつて全日本プロレス中継が土曜七時枠から撤退後、山口局では放映しなくなったものの、大分では継続放送してくれた。これは嬉しかった。
後々町内に共同アンテナが立てられた。出力調整して晴れて福岡局がほぼクリアに見られるよう
になったのと同時に、大分とはさよならする事になってしまった。
番組内容もCMも以前に比べれば独自性も薄れ、大分を味わうというまでには至らず、無理してまで見る価値もなくなってしまったというのもあった。
三県にまたがる奇特な受信環境はふつうに多チャンネルだった。ただ今の時代はもうテレビのチャンネルを回せばどこにでも映像が入るというありがたみは、昔ほどは感じられる事もない。