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[心理×映画] 映画鑑賞記・セッション

16年4月5日鑑賞。

アンドリュー・ニーマンは19歳のジャズ・ドラマーである。若くして才能に恵まれるニーマンは、バディ・リッチのような「偉大な」ドラマーになることに憧れ、アメリカで最高の音楽学校、シェイファー音楽学校へと進学していた。壮大ながらも獏とした夢を抱えながら、日々孤独に練習に打ち込むニーマン。ティーン・エイジャーらしく恋愛にも憧れ、父と「男の争い」を観に行った映画館で働いている大学生のニコルに恋愛感情を抱きながらも声をかけられずにいた。

そんなある日、シェイファー音楽学校の中でも最高の指揮者として名高いテレンス・フレッチャーが彼の学ぶ初等教室へやってくる。ニーマンの卓越した演奏はフレッチャーの目を引き、彼はシェイファーの最高峰であるフレッチャーのスタジオ・バンドに招かれる事になった。同時に映画館で働いてるニコルとも交際を初め、有頂天になるニーマン。しかし練習初日、スタジオに現れたニーマンは、フレッチャーの登場とともに異様な緊張感に包まれるメンバーたちの様子に違和感を覚える。開始早々、怒声を浴びせられ、泣きながら退場させられるバンドメンバーを目にして度肝を抜かれるニーマン。

そんなニーマンをなだめるように、フレッチャーは温かく迎え入れるような態度をとったが、それはフェイクだった。フレッチャーはバンドのセッションに関しては徹底した完璧主義者であり、度を越した苛烈な指導を容赦なくバンドメンバーに対して行っていたのである。初日からニーマンもその対象となった。テンポがずれているという理由で椅子を投げつけられ、さらには、バンドメンバーの目の前で屈辱的な言葉を浴びせられながら、頬を殴りつけられる。彼は泣きながらうつむくほかになかった。

理不尽な暴力を受けながらも、フレッチャーを見返そうと再起するニーマン。しかし、文字通り血の滲むような特訓を繰り返しながらも、ニーマンは補欠としてコアドラマーの楽譜めくりの扱いしか与えられなかった。しかし ・・・・(あらすじはwikipedeiaより)

話は至ってシンプルで、要は鬼教官フレッチャーと音大生ドラマーアンドリューの「闘い」だけが描かれているといってもいい。師弟が共に高みを目指していくというというと、70年代に一世風靡したスポ根路線のような内容を想像するかもしれない。

しかし、「巨人の星」星一徹飛雄馬、「あしたのジョー」のジョー丹下段平、「エースをねらえ!」の岡ひろみ宗方コーチのような信頼関係が、この映画の2人には皆無なのだ。

ただ日本人が好きそうな、努力を妄信した先にある「何か」をひたすら信じているのは2人とも共通していて、そこの高みを目指すためだけに、恩讐も怨恨も乗り越えていくというお話になっている。目指す頂点が一緒というだけで、実は二人ともむしろ憎しみ合っているのではないか?とすら思わせるあたりがキモ。まあ実際憎み合っているんだけど。

アンドリューが血を流し、手を氷水で冷やしながらドラムをたたいていたり、アンドリューを正ドラマーにすべく、フレッチャーが咬ませ犬?をあてて、自身の理想の演奏ができるまで延々と練習させたりする描写などはかなり日本人好みな絵面だと思う。

スポ根とかこの映画でもそうだが、信頼関係があってもなくても、こういう話では登場人物がいろんなものを失っていく傾向にある。

飛雄馬は投手の生命である左腕が使えなくなり、ジョーは力石というライバルを失って、自身も真っ白に燃え尽きてしまう。岡ひろみは信頼していた宗方コーチ自身を失ってしまう。高みに立つ代償は決して安くない。

この映画ではアンドリューが自ら口説いた彼女、二コルを「ドラムをたたく時間の邪魔」だとして自分から振ってしまうが、その代償に得たものは自ら招いた交通事故であり、学校は退学処分、そして孤独になってしまう。鬼教官フレッチャーはアンドリューの「告発」によって教職を失ってしまい、自身の理想の追求がかなわなくなる。

そこまでして得たものは果たして全てを犠牲にしうるだけの価値があったのか?ひょっとしてそれは自己満足でしかなかったのではないか?そこらへんの描写もしてあるあたりは心憎い。

この求道者っぷりが半端ないため、アンドリューもフレッチャーも人間としてはかなりクズっぽい感じに、私なんかは見てしまうんだけど、決して嫌いにはなれないのだ。

日本だとこの理不尽さにどこか正当性をつけたり、登場人物の人間性を描きこんだりして、鬼教官も主人公も「実はいい人」という描写をしがちなのだが、この映画ではそれがないため、たとえクズ同士?のバトルになっていても、シンプルで見応えのある戦いとして描かれていたんではないかと思う。

ラストのアンドリューとフレッチャーの「対決」に至る過程の中で、だんだんセリフもそぎ落とされていき、ついにはアンドリューのドラムの音とフレッチャーの鬼気迫る指揮ぶりだけが延々と流される。しかしその説得力あるバトルの迫力は、まさに絶品。アンドリュー・ニーマン役のマイルズ・テラーとテレンス・フレッチャー役のJ・K・シモンズ両者の演技が絶妙なんでここだけでも十分楽しめる。

要はここを描くためにほかの時間がすべて使われているので、この映画自体も何かの高みを目指して作ったのではないかと想像してしまいたくなる。たまにはこういうシンプルで熱い映画も悪くないなあと思った。

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