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200%元気になる心理学的音楽徒然草(3)孤独の戦士 ロンリーハンター

『孤独の戦士・ロンリーハンター』は1981年より増刊少年サンデー(今のゲッサン)に連載されていた岡崎つぐお氏原作「ジャスティ」を、85年にアニメ化した際に主題歌になった楽曲です。作詞はヒットメーカーの竜真知子さんで歌は麻倉未稀さんといういかにも80年代な組み合わせで、本作の主人公ジャスティの孤独のヒーローっぷりを歌い上げています。

さて、本題は『孤独の戦士』というタイトルですね。歌詞もそうですが、80年代までは孤独=かっこいいという風潮がありました。群れる=ダサいみたいな感じですね。一方で『〜族』といった『群れる』ことにアイデンティティを求める傾向もまたありました。

当時全盛を極めていた暴走族という存在も、アウトローを気取りながら集団走行しているという矛盾を抱えていました。ただ想像するに彼ら的には「目立ってナンボ」なんで、アウトローが群れていても大した問題ではなかったのでしょう。

しかし、近年『孤独』は社会問題化していきました。集団からハブられる怖さ、何処かに居場所を求め、誰かと繋がらないといけないという焦り、誰にも看取られず死を迎える恐怖。

なんとなく現代では孤独ってあまり歓迎されてない気がします。そういえばアウトロー的な存在なはずの暴走族が近年減少傾向にあるのも、現代では孤独で目立つことからあまり利益を得にくいからかもしれません。かつてなら暴走族予備軍になりえた可能性があるであろう人たちは、仲間とつながり、地域とつながり、家族をもち、経済活動に貢献する存在になっているようにも見えますね。

しかし、ここまで過度に『つながり』ばかりが求められる世の中って疲れないですかね?私なら間違いなく疲れます。もちろんハブられる体験も孤独の怖さも十分に知り尽くした今だからこそ言える話ですが、実は孤独もつながりも良い面、悪い面それぞれがあるのです。いい悪いでは区別できないものなんですね。誰かと一緒にいたいと願うのも、たまには一人になりたいと思うのも、どちらも人間のまっとうな欲求だからです。

もちろん過度になれば怖いと感じることもあるでしょうし、疲れもしましょう。当然こうした流れには流行り廃りもあります。「孤独の戦士」は今ほどつながりが渇望されかった(つながりがある意味保証され、当たり前であった)80年代ならではの作品なのかもしれません。

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