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映画鑑賞記・超時空要塞マクロス・愛おぼえていますか

05年3月29日鑑賞。

50万周期にわたり大宇宙で抗争を続ける巨人族の二大勢力、男のゼントラーディと女のメルトランディ。西暦2009年、その戦火は地球にも及び、ゼントラーディの奇襲をうけた地球統合軍の巨大宇宙戦艦マクロスは、脱出時の動力不調から太陽系外周部へ飛び出すこととなる。地球を離れる際避難した5万8千人の民間人は、広大な艦内に市街地を建設し生活を営んでいた。追撃をうけながら地球への自力帰還をめざす航海の5か月目、土星の衛星タイタン宙域から物語は始まる。

可変戦闘機バルキリー隊のパイロット一条輝は市街地に侵入した敵部隊との交戦中、人気歌手リン・ミンメイの命を救う。憧れのアイドルと親密になれたものの、厳格な上官早瀬未沙からは単独行動を咎められる。輝は芸能生活に疲れたミンメイを元気づけるため、ふたりで土星の輪の遊覧飛行を楽しむが、連れ戻しに来た未沙ら共々ゼントラーディ艦隊の捕虜になってしまう。彼らは捕虜尋問の中で、巨人たちが地球人のありふれた生活習慣に驚き、とくに男女の愛情表現に衝撃を受けるということに気付く。

輝と未沙は敵艦からバルキリーで脱出したが、フォールド(超空間跳躍)から弾き出され、マクロスより先に地球にたどり着く。人類が死に絶えた地上を1カ月間放浪するうちに、ふたりは寂しさを分かちあい、愛を確かめ合う。そして、朽ち果てた巨大宇宙移民船を調べたところ、先史銀河文明プロトカルチャーの時代に単体生殖が進んだ結果、男と女が争い始め、ふたつの巨人族が生み出されたことや、地球人の祖先も遺伝子操作されていたことを知る。一方、ゼントラーディ基幹艦隊司令ゴル・ボドルザーは巨人たちが失った「文化」を地球人が持っていることを悟り、一時的にマクロスと休戦。プロトカルチャーのメモリープレートに刻まれていた曲をミンメイに歌わせ、カルチャーショックでメルトランディを屈服させようと企む。(あらすじはwikipediaより編集・抜粋)

初めてみたのは大学時代、広島の繁華街の映画館だった。満足して足取りも軽く帰宅したのを覚えている。

見返したのも実は十数年ぶり。公開当時はどうしてもテレビシリーズと比較しながら見てしまっていたが、今改めて見直してみると、 凄かった。単純に素晴らしいと思った。

CGなんて高嶺の花だった時代に、ここまでのクオリティーの作画を手作業で作り上げているという「イカレぶり」(特に表題曲=名曲!を バックに繰り広げられる、おなじみの戦闘シーンに代表される)にはただ、ただ驚嘆させられたが、実は今回見直してみてドラマの部分が物凄く緻密に 作られていた点に感動。今回の個人的再発見。メカと美少女という禁断?の二大アイテムを文化という名のリンゴとして、我々おたくのはしりの 連中に食らわせた、ある意味とんでもなく罪深い(笑)

この作品で確実に道を踏み外した人間は、いまこうしてこんな事を書き込んでいるバカ大人になってしまった。戦争と三角関係を同列に扱った当作を 「そんなバカな」といっていたヤツが、一番バカだったという、時空を超えた教訓を現在の私に刻んでくれた(笑)という落ちまで付いて しまったと。

この映画の胆である「愛おぼえていますか」を作ったのは、故・加藤和彦さん。この世代の人にはおそらくだけど、強烈な反戦メッセージが刻まれており、私個人のイメージで言うと加藤さんも反戦の人という感じがしている。で、武器を使うことなく歌で戦争を終わらせるという荒唐無稽な話というのをわりと真正面から、本気で実現しようとしたのではないだろうか?と思っている。

ただ、志半ばにして加藤さんは自らの命を絶たれてしまったけど、この「愛おぼえていますか」は加藤さんの世代とその世代の歌に影響された河森監督の世代の思いが結実したひとつの結果であろうと思う。映画にはそうした故人の魂もまた永遠に生き続けているのだ。

-映画鑑賞記