映画鑑賞記・姑獲鳥の夏
06年11月30日鑑賞。
梅雨も明けようという夏のある日、関口巽は、古くからの友人である中禅寺秋彦の家を訪ねるべく眩暈坂を登っていた。関口は最近耳にした久遠寺家にまつわる奇怪な噂について、京極堂ならば或いは真相を解き明かすことができるのではないかと考えていた。関口は「二十箇月もの間子供を身籠っていることができると思うか」と切り出す。京極堂は驚く様子もなく、「この世には不思議なことなど何もないのだよ」と返す。
久遠寺梗子の夫で、関口らの知り合いである牧朗の失踪、連続して発生した嬰児死亡、代々伝わる「憑物筋の呪い」など、久遠寺家にまつわる数々の事件について、人の記憶を視ることができる超能力探偵・榎木津礼二郎や京極堂の妹である編集記者・中禅寺敦子、東京警視庁の刑事・木場修太郎らを巻き込みながら、事態は展開していく。さらにこの事件は、関口自身の過去とも深く関係していた。(あらすじはwikipediaより)
「この世に不思議なものなどない」と言い切る京極堂に相反して、画面はどんどん魔化不思議な様相を呈していく。フラッシュバックに独特の色彩、光と闇。あたかもそれは都合の悪い現実に多重人格や記憶消去によって本当にあったことが見えていない登場人物達と、見ている観客の目線を一体化させてしまうようだ。なんという魔法だろう。
京極堂はまた言う。「これは哲学などではない」と。はじめからあるべきものが見えていないから、理屈をこねくり回して見えなくしてしまう恐怖が、存分に描かれていた傑作。
ああ、惜しいことにこの才能の新しいほとばしりをもう見ることができないのかと思うと、悔しさで一杯である(註:実相寺監督没後すぐにこれをみました)。 唯一見る側として気が逸れたのは、温室と花と原田知世さんの組み合わせ。かの名作「時をかける少女」から数十年、舞台はかわれど不思議な空間に彼女の立ち振る舞いは実に良く当てはまる。
ラストで探偵助手の関口に唇の動きだけで「ありがとう」を伝えるシーンでは鳥肌が立った。原作者の敬愛する水木ワールドを随所にちりばめながら、独特の実相寺的世界観を存分に見せてもらえたことに感謝したい。
なお、原作者の京極夏彦さんは俳優として出演しているほか、追加のセリフを執筆するなど製作にも参加している。京極さんは水木しげる先生を意識した傷痍軍人役での出演であったが、実相寺監督は本作品のロケ中に偶然水木先生ご本人と出会っており、京極さんが取り持った不思議な縁であったと述べている。