[アニメ感想] 2019年春アニメ完走分感想文 さらざんまい
2019/06/26
舞台は浅草。
中学2年生の矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人はある日、謎のカッパ型生命体“ケッピ”に出会い、無理やり尻子玉を奪われカッパに変身させられてしまう。『元の姿に戻りたければ“ある方法”でつながり、ゾンビの尻子玉を持ってこい』ケッピにそう告げられる3人。少年たちはつながりあい、ゾンビの尻子玉を奪うことができるのか?!
同じ頃、新星玲央と阿久津真武が勤務する交番でも何かが起ころうとしていたー。(あらすじは公式HPより)
わけわかんないけど
個人的に2019年春アニメは超不作だったので、いよいよ日本のアニメ界もおしまいかと思っていたが、やはりユリ熊嵐以来の幾原作品とくれば、黙っていても覇権がとれるだろうと踏んでいた。実際そうなったかどうかはこれまた賛否あるだろう。個人的には非常に満足できた。
全11話走破した感想としては「わけわかんないけど感動させられた」という感じだろうか。ただ少女革命ウテナ以降の幾原作品と「さらざんまい」にはいくつか違いがある。それは…
①主人公が少女ではなく少年
②結末が非常にポジティブ
という二点だろうか?
つながりたい。けれど…
①については、この「さらざんまい」のテーマが欲望である以上、主人公たちを少女にしてしまうと、ややどぎつい印象を与える可能性がある。もちろん人間である以上、欲望は性別を問わずあるわけだし、私が想像するに、今回はより表現しやすくした結果、男性が主人公になったのかもしれない。
もちろん欲望の赴くままに生きていくことは無理な話だし、人はそれぞれ欲望をコントロールしながら生活している。しかし、さらざんまいで描かれているように「つながりたい。けれど…」という部分を「搾取」と表現しているのはさすがだなあと思った。本当はつながりたいけど、あれこれ理由をつけて自分を押し殺す事を続けすぎたり、行き過ぎたブレーキをかけると問題が発生していく。
物語に度々登場する「欲望搾取」。その欲望を搾取しているのほ誰なのか、というところが重要なポイント。そこに気づいた時に、大きな気づきを得て、解放される自我というのがたぶん最終回で描かれたテーマだろう。
考えるな、感じろ
②に関しては気づきの体験のあるなし、あるいは幾原作品に求める形によっては、取りようが様々になる点も「さらざんまい」という作品の大きな特徴ではないか、と私は思っている。もちろんこうしたポジティブな捉え方以外にもいろんな意見があっていいと思う。正解をひとつにする必要もないだろうし。
ただ、幾原作品は、そのわけのわからなさで言えば、近年はやりの考察に向いたアニメとも言えるのだが、さらざんまいに関しては深掘りして理由を考えるより、画面から伝わって来るパワーをあるがままに感じてみるというのが、一番私としてはしっくりきた楽しみ方で、全話通して「考えるな、感じろ」の精神で接してきた。
たしかに全11話では語りきれていない部分もたくさん見受けられるが、それでも「つながりたい」という自分の欲望を取り戻す、というシンプルなテーマだけを味わってみても充分楽しめる作品になっていると思う。
見せ方こそ従来の幾原イズム全開だった「さらざんまい」。だが、訴えたかったテーマ自体は非常にシンプルでポジティブというのが、過去作との一番大きな違いだったのではないか、と私は感じている。