[アニメ感想] 2019年冬アニメ完走分感想文 けものフレンズ2
2019/04/03
ある日、子供がジャパリパークにある荒廃した施設の中で目覚め、施設を出て森に迷い込むとカラカルとサーバルに出会う。サーバルに「キュルル」とあだ名をつけられたその子供は「おうちに帰りたい」と願い、サーバルたちはキュルルの持っているスケッチブックに描かれた絵を手掛かりにキュルルの家を目指す。カルガモの道案内でサーバルたちは絵の場所の一つにたどり着くが、巨大なセルリアンが現れサーバルたちを襲う。建物に逃げ込んだサーバルたちは、カルガモがセルリアンを引き付けている隙に海賊風のラッキービーストの操縦する乗り物でその場を脱出する。セルリアンはなおも乗り物に迫るが、何者かが現れてセルリアンを倒し、乗り物はそのまま「アヅアエン」へと出発する。(あらすじはwikipediaより)
第九話の問題点
第1期を巡るいわゆる「けものフレンズ騒動」に関しては、長くなるので割愛する。スタッフも制作スタジオもほぼ総とっかえになった以上、第1期の続きというより「別物」として観るつもりでいた。そもそもたつき監督のケムリクサ(皮肉にもBSでは、けもフレ2の裏番組)が同時期に放送されている以上、第1期は「なかったこと」にした方が個人的には都合がよい。
ましてや、火中の栗を拾うかのように「けもフレ2」の制作を引き受けたスタッフにも相応の覚悟があって制作に望んでいた、と視聴前は割と好意的に捉えていた。
だが、しかし…
いざ放送が始まると、その好意はことごとく裏切られていくのである。まさか、ここまで酷くなるとは、さすがに想定していなかっただけに、完璧に目測を誤った私の見方の甘さに自己嫌悪になりそうになった。
では、けもフレ2の何がダメだったのか?大炎上して悪い意味でしか話題にならなかった第9話「おうちへおかえり」を遡上にのせて説明していこうと思う。
①イエイヌの扱いが酷すぎる
②ヒトであるキュルルのキャラクターの描き方が杜撰すぎる
③スタッフと視聴者の感性が乖離しすぎている
①のイエイヌとは、第9話のゲストキャラクターで、文字通りイエイヌ…つまり飼い犬のフレンズ。飼い主が去ったジャパリパークで、帰らぬ主人をひたすら待ち続けるというけなげな性質を持ち、主人と間違えられて連れてこられたキュルルに対しても、身体を張って盾になるというなかなか泣かせるキャラなのである。
どうしてこうなった?
だが、問題は②である。私はペットを飼ってないし、今後も飼う気はないのだが、それでもイエイヌのキャラクターには、グッとくるものを感じた。
しかし、キュルルはビーストから身体を張って自分を守ってくれたイエイヌにお礼を言うこともなく、もともと旅していた仲間のサーバルたちとあっさり合流してしまう。まるでイエイヌなどいなかったのような冷淡な態度には唖然とするほかなかった。
イエイヌが旅に出ず、もといた場所に残るのは、帰るはずもないもともとの主人がもどるのをひたすら待つ選択をする、というのは描き方次第では、ちょっとほろ苦い、でも印象に残る話にできたはず。なのにどうしてこうなってしまったんだろうか?
そうして考えるとやはり③の部分が致命的になっているとしか思えない。確かに一部の「1期原理主義」に走った過激なファンにとっては「けもフレ2」そのものが忌み嫌う存在であることには違いあるまい。
なんだかんだ言って第9話、もしくは最終回まで完走した人間には、けもフレ2に対してなんらかの期待を抱いていたの間違いないはず。私もその一人だからだ。
誰が幸せになれるんだ?
しかし、残念ながらその声はスタッフには届いてはいなかったようだ。確かに作品に自信をもつのはよいのだが、それが内輪だけで盛り上がっているのか、そうでないのかくらいは、プロならば理解しておかねばならないだろう。
だが、けもフレ2に関しては、内輪の盛り上がりとは裏腹に、視聴者がおいてけぼりを食らうことが度々あり、それが最も顕著に出てしまったのが、第9話なのではないだろうか?
そして、いろいろいわれている最終回。見終えた感想は…
「誰がこれ見てしあわせになれるんだ?」
ネットであれこれ書かれていることは、ここでは書かない。しかし、私がいかにクソアニメならびにクソ映画愛好家であっても、けものフレンズ2だけは、擁護のしようがない。
けもフレ2には、クリエーターの良心も先人への敬意も何もなかった。これならまだ「五等分の花嫁」の方が数千倍良心的である。こんなのをのさばらせておいては、日本のアニメ業界は早晩に滅んでいくだろう。悲しい。本当にこんな作品は、二度と世に出してはならない。期待した私がバカだったというほかない。