[映画鑑賞記] 宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち第七章 新星編
キーマンに突きつけられた悪魔の選択。しかし“縁”の連なりが為す奇跡が、事態を思わぬ方向へと導く。
千年にも及ぶズォーダーの絶望を断ち切る唯一の機会を前に、人々は……。
最後の戦いが始まる。ガトランティスを滅ぼす力《ゴレム》を奪取するべく、都市帝国中枢へと突撃するヤマト。
トランジット波動砲の閃光が都市帝国を焼き、無数の砲火がヤマトを串刺しにする。
人間が人間であり続けるために──愛の戦士たちの「選択」が、いま宇宙の運命を決する。(あらすじは公式HPより)
見渡す限りおっさんしか・・・
第6章で散々伏線張り巡らして、第7章で本当に完結するのか?一抹の不安が残ったのだが、それでも朝イチで第7章を観に行ったのは「やっぱり気になるから」。
というわけで、今回は初日の初回上映をみるために、朝8時台に劇場入り。ロビーにはそこそこお客さんがいた。しかし、グッズ待ちの列が終わらないため、一旦諦めて先に入場することにして、パンフは映画終わりで購入した。
ちなみに4章から映画館で上映を開始するという非常に中途半端なことをしてくれた北九州では、結局第七章まで若い客層に出会うことはついぞなかった。今回も見渡す限りおっさんしかいない有様だった。
東京とかではまた客層も違うみたいなんだけど、こと地方(それも松本先生の生まれ故郷)に関しては、回顧厨以上の年齢層以外に、新作ヤマトが広がっていかなかったのは、なんとも残念な話ではあった。個人的には今の若い人にもみてもらいたいところではあるのだが、無理強いしても仕方ないし、そもそも九州・山口では2202のテレビシリーズすらやっていない。
それを考えると、映画館に足を運ぶ若い人がいなくても、それはそれで仕方ないのかなと思ったりもする。
気になる3つのポイント
そんな私が気になるというポイントは以下の3つ。
①ヤマト2202は果たして「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」に準拠した作品なのか、「宇宙戦艦ヤマト2」に基づいた作品なのか?
②ラストに流れるヤマトより愛を込めては、どういう扱いになり、どういう意味を持つのか?
③2202以降の続編はできるのか?
では確約はできないが、なるべくネタバレしない範囲で説明したいと思う。もしあなたが「宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち」を未見でなおかつネタバレが嫌ならば、敢えてこの先は読まないでもらいたい。
まず①に関しては「うまいことやったなあ」という印象。パンフを読むと2202のシリーズ構成を手がけた福井晴敏さんが、「種明かし」もしているが、その答えはここでは書かない。
ただ、製作委員会からの無茶振りによくぞ答えて2202を作り上げたな、と言わざるを得ない。作中でガミラス人唯一のヤマトクルーである、キーマンが引き金を引くか引かないかの選択を迫られるシーンがある。
これは2199において、スターシャから「波動砲の引き金は引かないこと」という「約束」をしているところから、2202では古代が様々な場面で葛藤することになるのだが、その古代の苦悩と、キーマンの苦悩が奇しくもオーバーラップする形で登場する。前半の名場面といってもいいだろう。果たして、古代は、キーマンは二択のうちどれかを選ぶのか、それとも・・・・ここを楽しみにして映画館に行ってほしいと思う。
どちらを受け継ぐか?
そして②。これは2202が「さらば」を受け継ぐか、「ヤマト2」を受け継ぐかで全く意味合いが変わってしまう。特に「ヤマト2」ルートは特攻寸前で「やっぱやーめた」になるオチなんで、ここに「今はさらばといわせないでくれ」という歌詞が流れてきたらギャグとしか思えない。
余談になるが「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」には当時ドラマ編というアルバムが出ていた。ビデオがなかった時代に、音声だけを収録したものだったのだが、版権の関係でジュリー版の「ヤマトより愛を込めて」が収録されなかったので、かわりにエンディングに収めらされていたのが、故・西崎義展氏が朗読する「ヤマトより愛を込めて」だったのだ。
これによって、私の百年のヤマト愛も一瞬で冷めてしまった苦い思い出がある。果たして2202で「ヤマトより愛を込めて」が流れたとき、劇場が感動の場面に涙することになるのか、それとも失笑の渦に飲み込まれるのか?あなた自身が実際に体験してほしい。
後々「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気」で、西崎氏の人生を読み返すと、まあこんあ朗読をするというのも、わからないではないのだが、14歳の中学生にはハードルの高いギャグだった。
その上、すぐ後に銀河鉄道999や機動戦士ガンダムという後生に名を残す名作が次々に登場していた時代だったので、ヤマトがグダグダしている間に、ものすごい早さでヤマトは過去の遺と化してしまったのだ。これも不幸なことではあったのだけど・・・
思いの丈を代弁したスタッフ
さて③。これは正直2202のスタッフに同じ熱量で、続編を作れと言っても無理だと思う。とはいっても2199のスタッフに再結集を求めても、もっときつくなるだろうし、スタッフを一から集め直して相当大胆な解釈をしないと難しいだろう。
ましてや、故・西崎プロデューサーが自ら監督を務めて大コケした「完結編」や、その西崎氏が志半ばで他界し、続きができなくなった「復活編」など、ヤマトには「さらば」と「ヤマト2」どころの騒ぎじゃない「負の遺産」があるので、これを引き受けられる人っていうと、かなり難易度があがってくるような気がしてならないのだ。
さて、新星編に関して言うと、ここまでさんざん理屈をこねくり回してきたおかげで不評だった(と思われる)第一章から第六章までの「新解釈」がきちんとした形で実を結んでいる。とはいえ、ここまでやってしまうともはや「さらば」や「ヤマト2」とは別物と思った方がいいだろう。
特に故・西崎氏と著作権問題で血で血を洗う抗争を繰り広げた松本零士先生にしてみたら、ヤマトが続いていること自体が不愉快で仕方ないかもしてれない。
とはいえ、「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気」でも登場する、現・ヤマトプロデューサーでもある西崎彰司氏の気持ちもわからないではない。その思いの丈を代弁した2202のスタッフはよく頑張ったと思う。その努力の跡だけは心から讃えたいと、私は思っている。2202もまた私の中では立派な「宇宙戦艦ヤマト」だと感じられたからだ。