[映画鑑賞記]君の名は。
16年8月26日鑑賞。
1200年ぶりという彗星の接近が1カ月後に迫ったある日、山深い田舎町糸守に暮らす女子高生の宮水三葉は、自分が東京の男子高校生になった夢を見る。日頃から田舎の小さな町に窮屈し、都会に憧れを抱いていた三葉は、夢の中で念願だった都会を満喫する。一方、東京で暮らす男子高校生の立花瀧も、行ったこともない山奥の町で自分が女子高生になっている奇妙な夢を見ていた。 繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている記憶と時間。 何度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。 残されたお互いのメモを通して、時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら状況を乗り切っていく。 しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。 入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、会ったことのない三葉に会いに行こうと決心する。 辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた(あらすじはwikipediaより)
新海誠監督3年ぶりの最新作は、なんとスクリーン数300に及ぶ全国公開映画。キャラクターデザインが「あの花」の田中将賀氏とこれまたイメージに合った絵。新海監督って本当は、以前自身がやっていたみたいに作品全部を自分一人でやってしまいたいのかもしれないけど、今回みたいに脚本と監督と編集くらいでとどめておいた方がいいような気がする。ぶっちゃけると新海さんのキャラデザインはそれほど好きではないので。
で、特に期待もせず予告を見たらこっ恥ずかしい青春ラブストーリーっぽかったし、男女の入れ替わりネタも、もはや古典の部類に入るのに、なんで今頃こんなかび臭いことをしているのかな?と最初は思っていた。たまたま今回「四月は君の嘘」という実写映画のコマーシャルをみて思い切りドン引きした自分がいたので、正直「終わった後に来るんじゃなかった、とか思うようだったら嫌だなあ」と一瞬思ってしまった。ちなみに「四月は君の嘘」という作品はアニメ化もされていて一応録画したままおいてあるのだけど、なんとなく見たくなくてそのままにしている。アニメであっても苦手なタイプは苦手なんだなというのをいまさらながらに痛感したんだけど、実写版の予告はその嫌な予感を裏付けるには十分な嫌さ加減だったのだ。
しかしふたを開けたら意外や意外、手堅い古典的SFジュナイブル(juvenile=少年少女向けの読み物)で勝負してきていた。まあ、2002年の「ほしのこえ」(これが新海監督が一人で作った作品。第1回新世紀東京国際アニメフェア21公募部門で優秀賞、第7回アニメーション神戸・第6回文化庁メディア芸術祭 デジタルアート部門特別賞・第34回星雲賞 メディア部門などの賞を受賞した)でも似たような傾向はあったんで、本当は意外でも何でもなかったんだけど、「君の名は。」は「ほしのこえ」を発展的に、しかもスケールをでかくしたように私には思えた。
「ほしのこえ」では、光速に近い宇宙船で宇宙を駆けめぐり、何年か後、出発地点に戻ってきたような場合、出発地点にいた人は年を取り、宇宙船にいた人は年を取らないという現象が生じ、宇宙船は未来への一方通行のタイムマシンの役目を果たすことになる現象(この状態が、日本のお伽噺である『浦島太郎』において、主人公の浦島太郎が竜宮城に行って過ごした数日間に、地上では何百年という時間が過ぎていたという話にそっくりであるため、日本のSF作品などではウラシマ効果とも呼ばれている)をうまく使って、距離が離れていく恋人同士のメールのやりとりに用い、非常に切ない作品にしたてあげている(なお、この現象は何も光速に近い速度でなくとも発生する。現に航空機に載せた原子時計の進みがごく僅かに遅れる事が実験によって確認されている)。
今回「君の名は。」で使っているのはウラシマ効果ではなく、タイムパラドックス(時間軸を遡って過去の事象に介入することが可能であるとすると、改変された過去の事象が既に確定している未来の事象と矛盾をきたすことがあるという意味のSF用語)なんだけど、この設定もSFものとしては古典の部類に入る。しかし、まさか21世紀になって男女入れ替わり+タイムパラドックスでこんな新しい表現にお目にかかれるとは正直驚きだった。この青春の恋愛のすれ違いや切なさというのは新海作品では一貫して描かれていて、ほとんどの作品では主人公とヒロインはなんらかの形で別離してしまうのだけど、今回もそれが絶妙な演出で描かれていて、あっという間に引きずり込まれてしまった。上映時間がわずか106分というのが、もう信じられないくらい密度が濃いのだけど、もともと短編からスタートしている監督なんでこれでも長い方に入るのかもしれない。
で、この映画はやはりアニメでやっているからこそ意味があるのだと私は思う。一見すると実写でもできそうな気がするのだけど、やはりあのとびぬけて綺麗な背景はアニメでなくては無理だと思う。実写以上に説得力のある背景というのも実は新海作品の売りであり、監督自身がこだわって作っている部分でもある。単なる背景ではない自己主張がそこにこめられているのだ。もしかしたら全盛期の大林宣彦監督ならば実写化が可能だったかもしれないけど、大林作品の作風とはネタや設定が被る程度で、異なる印象があるため、やはり難しい気もする。
ネタバレのない範囲で感想を書きたいので、非常にもどかしいのだけど、やっぱり現時点で特筆しておきたいのは、声優として起用された俳優陣のレベルの高さだった。主人公立花瀧を演じた神木隆之介は自身がアニメファンを公言するほどで、新海作品の大ファンでもある。実は事前に彼のインタビュー記事を読んでみたのだが、顔出し俳優でもある彼が、真摯にアニメ声優に向き合って、思い入れを込めて演じていたのがとてもよく伝わってきた。ヒロイン宮水三葉を演じた上白石萌音、瀧のバイト先の先輩・奥寺ミキを演じた長澤まさみの3名は本当、この声しか考えられないほどぴいたりしたはまり役だったし、実に見事な演技だった。これは単に有名人を起用したというありがちなキャスティングではなく、実際にキャラクターにあった人を起用したんだなということが伝わってくる。おそれいったというほかない。
特に三葉の心が入った瀧を演じるにあたり「自分なりの萌えポイントを考えて演じた」という神木隆之介の演技は単純に女言葉を使う男ではなく、本当に女の子が中身なんだと思わせる力があった。だから劇中で瀧の友人、司が「昨日の瀧、可愛いかった」というセリフにすごい説得力がうまれていたと私は感じている。オタクならではの萌えポイントを理解しつつ自分で咀嚼して表現できる神木隆之介の俳優としての演技力にはひたすら舌をまかされた。
すれ違いということで言えば、「君の名は。」は「ほしのこえ」以上に切なさを醸し出す。それは抜けおちた記憶と時間を丹念に表現していることで、それがだんだん積み重なっていき、最後の感動につながっていく。単純に登場人物にいじわるをしているのではなく、どこまでも優しい新海目線が瀧と三葉の二人を包み込んでいる。
しいて小言を言うならオチはあれではない方が好みではあった。ラスト近くの大人になった瀧の孤独感が非常によく表現されていただけに、三葉とすれ違ったままでもよかったように思えたのだ。けど、あのやさしさが新海節といえるものではあるし、正直ラストに行く前で十分泣かされていたので、悔しいけどこの映画は恋愛モノなのに、私の心に深く刻まれることになってしまった。でもいくつになってもやっぱこういうジュナイブルは心ときめいてしまう。またSFとジュナイブルの相性というのは、抜群にいいのだ。かつてNHKが放送していた少年ドラマシリーズに感化された世代としては、こういう系譜に連なる上質の作品をきちんと作ってくれる新海監督のような作家さんはついつい応援したくなってしまう。
この夏は非常に中身の濃い映画をたくさんみられて幸せだった。新海監督には心から感謝申し上げたい。ありがとうございましたm(_ _)m